いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

遠火事の煙は龍と昇天す(あ)

 『推し、燃ゆ』を読む。
 芥川賞選考委員の一人である松浦寿輝さんは、この作品を「リズム感のよい文章」と評した。また、川上弘美さんは「必要にして充分な描写の力」、山田詠美さんは「確かな文学体験に裏打ちされた文章(中略)完成度は高い」、平野啓一郎さんは「文体は既に熟達しており、年齢的にも目を見張る才能」とたたえる。
 「リズム感のよい文章」だなとは私も感じた。変にこねくり回さない文体で読みやすかった。
 例えば、「携帯をひらく。無料公開されている過去の映像を繰り返し見て、画像を最高に設定してスクショする」というくだりは、文と文をつなげるのに「そして」などと接続詞を使うのが一般的だろうが、使わない。それが歯切れのいい文体につながっているのだと思う。
 また、終わりから4ページ前に「ひらいたままにしていたパソコンを動かして『最後なんだって思いました』を消す。『最後だと信じられなくて』と打ってまた一文字ずつ消していく」とある。ここも同じく接続詞を使っていない。さらに、「開いた」と漢字表記しないで、あえて「ひらいた」をひらがなのままにしている。おそらく意図的にそうしていると思われる。が、その意図が奈辺にあるかは判らない。たぶん気分的なものだ。なんとなくひらがなにしたい気分、といったところだろう。
 私がブログを書くときも、漢字にするかひらがなにするかには気を遣う。ただ、「色々」は絶対に漢字にしない。必ず「いろいろ」とひらがなにする。「沢山」も「たくさん」と打つ。これは何があっても譲れない。「一人一人」は「一人ひとり」、「益々」は「益ます」。「行う」の送りがなは「行なう」と必ず「な」を入れる。「行って」だと「いって」なのか「おこなって」なのか判断がつかない。
 今時のパソコンやタブレット・スマホの辞書機能は優秀で、自動的に漢字を正しく変換してくれる。だから、やたら漢字を使いすぎる傾向があるが、それは避けたい。読む人が読みやすいように、あえて漢字変換しないでおくという心遣いがあってもいい。


【今日の一枚】火災の煙。

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 正午前、市の防災情報(LINE)で韮山方面に火災が発生したと知り、デッキに上って撮った。煙の具合から推して、大事には至らなかったようで何より。
 空気が乾燥して火災が起きやすい時期、薪ストーブで暖をとる私も注意せねば。

 そういえば、毎年1月28・29に行われる「荒神(こうじん)さん」は、今年はコロナ禍の影響で中止になったそうな<https://izunotabi.com/info/kou-jinjya-shinto-ritual-is-called-off/>。

 「荒神さん」は、正式には荒(こう)神社と呼ばれ、火伏せ(火難・火傷・防火)の神様が祀られ、竈(かまど)の神様として地元の信仰を集める。

 数年前、私はここの三角くじ(300円)で保冷バッグを当てた。


【書】「死別」しべつ(No.596)

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 「死に別れ。←→生別」(『旺文社漢字典』第2版)
 「死」は、歹(がつ)と人(匕=ひ)とを組み合わせた形。歹のもとの字の形は〓1に作り、死者の胸から上の残骨の形。古くは死体を一時的に草むらに棄て、風化して残骨となったとき、その骨を拾ってほうむることを葬(ほうむる)という。→白川静『常用字解』
 「別」は、〓2(か)と刀(刂=りっとう)とを組み合わせた形。〓2は、人の胸骨から上の骨の形。その骨の骨節(骨の関節)のところを刀で切り離すことを別といい、「わける、わかつ、わかれる」の意味となる。→同
〓1↓

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〓2↓

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【タイムラプス】2月11日(木)6:01〜9:16の伊豆長岡の空。24秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10225445328102313/?d=n


【新型コロナ】2/11(木)10:00現在(Yahoo!より)
新規感染者数→1,885(前日比 +316)
重傷者数→736(前日比 −23)
累計死亡者数→6,725(前日比 +121)