いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

また一つ老後を足して寒に入る(あ)

【今日の一枚】JAの「こども共済」チラシと景品。

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 自治会の出入金でJAに行ったら、アンケートを頼まれた。別に急ぎの用事もなかったのでアンケートに協力した。年齢を答え、「後日積み立ての説明を聞く」に○をつけたら、その場でクレラップをくれた。

 チラシには「かわいいお孫さまのために、積立て、はじめませんか。」とある。積み立ての勧誘である。チラシを裏返してみたら、旅館の浴衣姿で冷酒を飲んでいる50代らしきカップルと、ゴルフクラブを抱えながらにこやかに微笑む、これまた50代と思しきカップルの写真が並び、その2枚の写真にかぶさるように「ゆとりがあるっていいよね。」という字が見える。

 ゆとりある老後のために今から積み立てを始めませんか? と言っているのだが、要は、手持ちの金を吐き出させるということでしょう。吐き出すほどの蓄えのない私としては、今の生活を維持するのがやっとで、ゆとりある老後なんて考えられません。

 それに、仮に今から積み立てたとしても、それは孫の学費に吸い取られるのでしょう。ゆとりのある老後をと言っておきながら、それじゃいつまで経ってもゆとりなんて生じないでしょう。せいぜいがすねをガリガリかじられて棺桶に収まるのが席の山で、ゆとりがある老後なんて、私には縁のない話だ。

 孫は、「じいじ、ばあば、だーいすき。」と言えばお金を出してくれると思ってやがる。大体、あのお年玉ってなんだ? 寝て食ってゲームをやってるだけでお金が手に入るなんておかしいでしょう。

 と、JAの窓口さんに言ってはみたものの、そら始まった爺いのたわごととばかりに聞き流されてしまった。

 

【書】「余裕」よゆう(No.567)

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 「①必要分以上に余りがあること。また、限度いっぱいまでには余りがあること。②ゆったりと落ち着いていること。心にゆとりがあること。」(『大辞泉』)

 「余」のもとの字は餘に作り、音符は余。餘(余)とは別の余の字がある。余は把手(とって)のついた長い針の形。余を一人称の「われ」の意味に用いるのは、その音を借りる仮借(かしゃ)の用法である。→白川静『常用字解』

 「裕」の音符は谷(よう)。谷は容・欲の字に含まれる谷(よう)で、渓谷(たに)の谷(こく)とは異なる字である。金文は衣の中に谷をしるしており、衣裳の上に神気がゆたかに現れることを裕といい、「ゆたか、ゆるやか」の意味に用いる。

 手元の『古代文字字典』で「余」を調べたら、「ヨ」の索引には甲骨文も金文も見当たらず、「われ」で引き直したら甲骨文も金文もあった。それで、「餘」と「余」の漢字の成り立ちは全く別物であることが判った。

 

【タイムラプス】1月13日(水)6:01〜7:11の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/posts/3707620122629171/?d=n

 

【新型コロナ】1/13(水)10:00現在(Yahoo!より)

現在感染者数→60,060(前日比+1,394)

新規感染者数→4,539(前日比 −336)

死亡者数→4,178(前日比+64)