いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

富士白し次郎の家も雪ならん(あ)

 強い寒気団が日本列島を襲い、日本海側に大雪を降らせているという。氷雪の研究で名を知られる中谷宇吉郎(物理学者)は、「雪は天から送られた手紙」と言った由だが、雪国に住む人に言わせれば、雪はそんなロマンチックなものではないと叱られそうだ。

 「雪無(ね)どごさ行きてじゃ」と、父は生前よく言っていた。雪さえ降らなかったらというのは雪国で暮らさざるを得ない人の偽らざる思いだろう。その父の遺言(?)が、私のどこかに引っかかっていたのかもしれない。私は雪のめったに降らない伊豆に終の住処を得た。

 雪の暮らしは嫌でも、そこで暮らす宿命を背負いながら父は雪国を離れなかった。そして、そこの土に眠った。

 私より八つ年上の兄は、東北の太平洋側を転々とした挙句、今は先祖代々の墓を守って青森で暮らしている。私は「おんず」(次男)だから、おかげさまでどこで暮らそうが構わない。退職を機に青森へ戻ることも考えたが、雪の暮らしがネックになってやめた。膝に持病を抱えるカミさんには雪道を歩くのは辛かろうとも判断した。

 雪国の生活で、屋根の雪下ろしほど重労働なものはない。屋根に積もった雪をそのままにしていたら家が潰れてしまう。そういう状態まで放っておけば、晴れる日なんて待っていられない。吹雪だって雪下ろしをしなければいけない。スコップを持って屋根に上がり、豆腐を切るようにして雪の塊をスコップで切って軒下に放り投げる。ふわふわの柔らかそうに見える雪だが、それは上層の新雪だけで、下層ほど積日の雪の重みで圧縮されていて、これが滅法重い。吹雪でもたんまり汗をかく。

 屋根から下ろした雪は下にたまり、家の板壁を圧迫する。ガラス窓は割れるといけないので板で覆う。だから、家内は昼なお暗い。一階の玄関が雪で塞がるから、家の出入りは二階の窓を使うこともある。幸い私の生まれ育った家はそこまで雪が積もることはなく、家は国道4号線沿いにあったので、下ろした雪をラッセル車が持っていってくれた。

 テレビで大雪が降る各地の様子を見ながら、今は遠い昔となった、そんな雪国での暮らしを思い出していた。

 

【今日の一枚】御殿場方面だけ白くなった富士山。

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 午後3時にデッキから撮った。今朝のタイムラプスでも確認できるが、わざわざここに載せたのは、なぜ東側だけが白くなったのか気になったから。

 静岡新聞SBS(ディジタル版)によると、「富士山自然誌研究会の菅原久夫会長は『富士山では時折見られる現象。強い西風の影響で東側に雪が積もったのでは。森林のない地帯なので雪がはっきりと見える』と説明した」という。

 私は初めて見たが、へええ、そんな珍しくないんかい。

 

【書】「告老」こくろう(No.543)

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 「年老いたことを理由に辞職する。また、そのことを願い出る。」(『旺文社漢字典』第2版)

 「告」は、もとの字は吿に作り、木の小枝に口(神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)を著(つ)ける形。木の小枝に口を著けて神前に掲げ、神に告げ祈ることをいう。[説文]には、字の上半分は牛の角の形であるとみて、牛が何かを人に告げるとき、横木をつけた牛の角で人に触れるのであるとしているが、牛はそのようなことはしない。→白川静『常用字解』

 「老」は、耂と〓(か)とを組み合わせた形。耂は長髪の人を横から見た形で、長髪の垂れている形。〓は人を逆さまにした形で、横たわっている死者の形。この字の場合は死に近いという意味を示している。長髪の年老いた人を老といい、「おいる、おいぼれる、としより」の意味に用いる。→同

〓↓

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【タイムラプス】12月16日(水)5:56〜7:09の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/1298610339/posts/10224931645220562/?d=n

 

【新型コロナ】12/16(水)10:00現在(Yahoo!より)

現在感染者数→26,819(前日比+469)

新規感染者数→2,431(前日比+749)

死亡者数→2,701(前日比+53)