いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

人恋ふることを知る子や青木の実(あ)

 クラスの国語を担当する先生が(私ではない)、俳句の作り方を授業で扱った。いい句ができれば「お〜いお茶」(伊藤園)に応募すると言い、私にもどうかと振られた。一等賞だと50万円もらえるそうだ。

 私は毎日、どうでもいいような日常をだらだらとブログに書いていて、そのタイトルに俳句を使っている。俳句は大抵「今日の一枚」からひねるが、鑑賞に耐えうる句ができたためしがない。これまで2,842本のブログをアップしているから、それと同数の句を作っているはずなのに、ちっとも進歩が見られない。それは、自分で勝手に作っているだけで、批評の目を受けていないところからくる甘えがあるからだと思っている。

 応募してみないかと誘われ、その気になった。どうせ4月からの収入は年金だけになる身であれば、数ある懸賞に片端から応募して腕を磨くのもいいかも知れない。もちろん、あわよくばその懸賞金をせしめて小遣い稼ぎするというさもしい魂胆も見え隠れしてはいるが……。

 家に帰って、「お〜いお茶」のサイトにアクセスした。そうしたら、「新俳句フォトの部」の応募要項を見つけた。

 もともと私は、作家・森村誠一さんの唱える「写真俳句」に首肯して以来、ブログのタイトルに俳句を使ってきた。ケータイで写真を撮り、そのときの思いを同じくケータイで俳句にしたためるというスタイルは、これからの新たな芸術ジャンルになり得ると思っていて、そういう意味で伊藤園が「新俳句フォトの部」を設けてあるのは嬉しい発見だった。まさに私の目指す方向だと思い、応募するならこちらの部門かなと思った。

 今や、一人一台スマホを持つ時代で、誰もが簡単に写真やビデオを撮影することができるようになった。一方、それによって活字文化は廃れたかというとそうでもない。漢字かなまじりでしか表現できない部分は厳としてある。

 新たに誕生した画像(映像)文化と従来からある伝統的な活字文化とがくっついたらどうなるか。私の興味関心はそこにある。さらに言えば、できれば活字でなく、手書き文字と画像とでコラボ作品ができないかと思っている。しかも、その画像が自分の手描きイラスト(絵)だったらなおいい。要するに、私がやりたいことは、自分で描いたイラスト(絵)に自分の手書きの俳句を添えたい、ということなのです。

 その昔、墨絵をたしなんだ人は、その手の手法をごく当たり前にやっていたと思います。私はそれをディジタルでやってみたらどうかと思っているのです。これだけディジタル化が進んだ今だからこそ、一般の人でも気軽にイラスト(絵)を描いたり、書に親しむことができるわけで、それを楽しまない手はないでしょう。

 将来的にはディジタル手書きの世界を追究するとして、せっかくだから、伊藤園の「新俳句フォトの部」に腕試しで応募してみようと思う。審判員が写真家の浅井慎平さんだから、多少写真の出来栄えも審判に影響するかもしれないが、とまれ、それも含めてどのような審判が下されるのか楽しみにしていよう。

 

【今日の一枚】青木の実。

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【書】「合離」ごうり(No.531)

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 「会うことと別れること。=離合」(『旺文社漢字典』第2版)

 「合」は、口の上に蓋(ふた)をしている形。口は、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。器と蓋とが相合うことを合といい、「あう」の意味となる。→白川静『常用字解』

 「離」の音符は离(り)。离は二匹の虫が交わり連なる形。隹(とり=鳥)が黐(とりもち)にかかることを離、黐から離れ去ろうとすることも離といい、「かかる、はなれる、はなす」の意味に用いる。→同

 「離」の字が面白い。離れるだけでなく、鳥がとりもちにかかったという意味もあるんだね。知れば知るほど知らないことが増えていく。

 

【タイムラプス】12月4日(金)5:43〜7:12の伊豆長岡の空。22秒。

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