いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ランタンの上に闇ありもがり笛(あ)

 孫どもは午前11時前にカミさんの車で小田原へ帰っていった。帰り際、冬休みになったらまた来るようなことを言っていたが、カミさんは箱根峠の凍結を案じて車を出したがらない。スタッドレスタイヤに履き替えればどうということはないはずだが、たかが伊豆へ来るだけのためにタイヤをスタッドレスにする気はさらさらない。だから、私が小田原まで電車を乗り継いで迎えに行く可能性が大きい。去年がそうだった。

 今年の冬休みは12/26〜1/3と短い。新型コロナによる臨時休校措置の影響で、夏休み同様例年より短くなった。小田原はどうか知らないが、おそらく似たり寄ったりだろう。

 正月三が日を孫と過ごすということになると、やばい、1/2の先約を後ろにずらさなければいけない。頼んで一週間後の1/9あたりにしてもらうか。

 孫たちが帰った後は一抹の寂しさが残る。これを津軽弁で「しげね」と言う。「し」は「し」と「す」の中間音で、津軽弁特有の発音である。「し」とも聞こえるし「す」とも聞こえる。これは日常語が津軽弁だった身でなければ発音し得ない。

 私が青森の高校を卒業して東京の大学に入り、共通語の話し方を覚えて帰青したりすると、母親は、「わいは、きれだだこどばこばしゃべるえになてまたでばな」(あれまあ、きれいなことばをしゃべるようになってしまったようだね)と言ったものだ。

 きれいなことば? きれいなことばって何だろう。そもそも、ことばに「きれい」とか「きたない」とかあるんだろうか。

 母親にとって、東京で話すことばは「きれい」だけど、津軽で話すことばは「きたない」らしい。

 私も上京したての頃は、津軽弁を話したら都会の人に笑われるのではないかという不安があって、ひたすら東京の人の話しぶりを真似するよう心がけていた。そんなとき、寺山修司がテレビで津軽弁丸出しの競馬解説をしていたのを聞いて、こんなに堂々と津軽弁をテレビで話す人がいるんだと驚いたことがあった。そうしてそれを密かに嬉しく思った。

 生まれ育った土地の言語は体に染みついていて、忘れようとしても忘れられない。母親は津軽から出たことがない人だけど、私は津軽に生まれ育ち、今は津軽を離れて暮らしている。

 時代なのだろう。母親の時代は津軽弁をとてもきれいなことばだとは思えない時代だった。しかし、私は違う。津軽弁はとてもきれいなことばだと思う。こんなきれいなことばを残してくれた郷土に感謝したい。私は津軽に生まれ育ったことを今でも誇らしく思っている。

 

【今日の一枚】LED殺虫ランタン。

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 玄関アプローチの石段は明かりがないと危ない。今時分は、湯屋へ行くときは明るくても、帰る頃になると真っ暗になる。で、座頭市のごとく、足元を探りながら石段を上っていた。

 一昨日の夜、到着した孫が蹴つまずかないよう、足元を照らす明かりを用意すべきだったが、用意できず、昨日、修善寺のホームセンターで遅まきながら買って取り付けた。

 写真は湯屋から帰ってきてから撮った。湯屋へ行くときにスイッチを入れ、サルスベリの木の枝に引っ掛ける。それで、帰ってきたら足元を明るく照らしているという按配。取説によると、明るさは20%点灯時で約30ルーメンで、連続点灯時間は約18時間とある。30ルーメンでもこれだけ明るければ十分。しかも、一回のUSB充電で18時間持つというから、一晩点けっぱなしでも十分余裕がある。

 

【書】「妥協」だきょう(No.520)

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 「対立した事柄について、双方が譲り合って一致点を見いだし、おだやかに解決すること。」(『大辞泉』)

 「妥」は、もとの字は〓(だ)に作り、爪(そう)は上から加える手。女の上に手を加えた形で、女を安らかにするの意味となる。→白川静『常用字解』

 「協」の音符は劦(きょう)。劦は力(耒の形)を三つ組み合わせた形で、農耕のとき協力して耕すことをいう。農作業には協同作業を必要とすることが多かったのであろう。協は力を合わせて耕すことから、力を合わせて物事をする、助ける、心を合わせるなど、「あわせる、ともにする、かなう」の意味に使う。→同

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【タイムラプス】11月23日(月)6:08〜7:38の伊豆長岡の空。22秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1330999645674213376?s=21