先週10/30、地元の大学附属病院で、医師による新型コロナウイルスのクラスターが発生したと報じられた。「利用者は『院内では感染対策を徹底しているのに』と驚きを隠さなかった」と、その日の静岡新聞(SBS)にある。
学校でも感染対策を施している。職員は、毎朝の体温を指定用紙に記入し、管理職に提出する。微熱を発した場合は、子どもたちとの接触を避けるために帰宅静養の措置をとる。子どもたちも同様で、毎朝、各学年のブースでチェックを受け、熱があった場合はその場で下校となる。休み時間も、換気、手洗い、消毒、うがいも励行している。
病院は感染対策の最前線だったはずだ。その牙城がもろくも崩れてしまっては、もう手の施しようがない。周辺は、誰が感染してもおかしくない状況であることを、改めて自覚しなくてはいけない。
かの現アメリカ大統領が陽性反応で一時入院したと思ったら、周囲の阻止を振り切り、とても古希を超えているとは思えない活力で選挙運動を展開した。あの陽性反応は何だったんだろう。
判らない。新型コロナ陽性反応の出た方が、どうしてあんなに精力的に動き回れたのか。
我々は見えないウイルス攻撃に神経を尖らせるが、かの人には恐るるに足らぬと映ったのか。実は陽性反応はフェイクで、実際は陰性だったのではないか。そんな憶測が流れてもおかしくないくらいのタフさである。
この前、薪を運んでくれたピザバス屋さんのご主人は、「コロナ、コロナと、世の中騒ぎすぎなんだよ」とおっしゃっていたが、もしかしたらそうかもしれないと思わないでもない。しかし、現に、まさかの病院でクラスターが発生したとなると看過できない。
闘う敵が見えないから、不安が不安を煽り、さらに増殖されていく。私も、いつ感染させる側の人間になるかという不安はある。特に今回はごく近場でクラスターが発生した。となると、正直、心穏やかではない。ふとしたことで感染し、ふとしたことで感染させることが現実に起こるやもしれぬ。
感染すると、一体誰が感染させたんだ、感染させた奴が悪いということになりがちだが、そんなことを詮索してもしょうがない。好きで感染したわけじゃないんだから責めるのはやめましょう。誰が、いつ、どこででも感染する可能性があるということを再度自覚して、明日は我が身と覚悟しておきましょう。
【今日の一枚】庭の枇杷の花(咲く前の蕾)。
歳時記では「枇杷の実」は夏、「枇杷の花」は冬に分類される。
枇杷の花が咲いている写真は、去年の12/7のブログに載せた。そう、枇杷の花は冬に咲くんです。写真は咲く前の蕾。繊毛に包まれて暖かそう。
花は芳香を放つというが、去年のブログはそのことに触れていない。咲いたら鼻を近づけて嗅いでみます。
【書】「君寵」くんちょう(No.502)
「①君主の寵愛。②君主のお気に入り。また、その人。」(『旺文社漢字典』第2版)
「君」は、尹(いん)と口とを組み合わせた形。尹は丨(こん=杖)を又(ゆう=手の形)で持つ形で、神に仕える聖職者をいう。杖は神の杖で、ここに神を呼び招くことができた。口は、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形である。→白川静『常用字解』
「寵」は、常用漢字にないので、字解を省く。ただ、「宀」は家の意であるから、龍の神を祭る大切な家であることは容易に想像できる。
【ディジタル画】海を見るー途中2ー(No.91)
「製図ペン」でのトレースを終えた。あとは彩色。濡れた砂浜と光る海をどう表現するか。
【タイムラプス】11月4日(水)5:36〜6:53の伊豆長岡の空。38秒。
https://twitter.com/aisakajiro/status/1324113403321806848?s=21