いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

豆腐屋のラッパ遠のく秋の暮(あ)

 私が「たて書コラム」に目を通すとき、とりわけ期待するのが東奥日報「天地人」である。

 東奥日報は青森県を代表する新聞で、現在の発行数は21万2706部(2019年4月ABC)。私が幼年の頃はどれほどの発行部数だったか知らないが、吹雪の元旦に新聞屋さんが運んできてくれた分厚い朝刊の感触は、いまだに覚えている。シーズンになると高校や大学の合格者氏名が載り、模擬試験の結果発表までもが載った。個人情報もへったくれもなかった遠い昔の話である。

 その東奥日報「天地人」に、懐かしい響きのことばがあった。「お山」である。津軽では、岩木山のことを「お山」と呼ぶ。古典では「山といえば比叡山」と習うが、津軽の場合は「山といえば岩木山」に決まっている。それだけ津軽人の信仰があつく、それだけ生活の中に溶け込んだ山なのである。

 厳密にいえば、岩木山は津軽平野からは見えるが、私の生まれ育った青森市からは見えない。見えるとすれば八甲田山だが、八甲田山のことを「お山」とは言わない。「お山」はどうしたって岩木山であり、岩木山は津軽の人々にとって、いわば魂の源なのである。

 コラムでは「弘前市立中央公民館が先月、弘前地区12地点で撮ったお山の写真の人気投票を実施したら、約1ヶ月で2千票余も集まった」という。「おらえのほじがらめえだお山だばいぢばんいがべ」(うちらの側から見えたお山が一番いいでしょう)という声が聞こえてきそうだ。

 コラムでは写真家・沢田教一さんについても触れていた。沢田さんは青森高校出身で寺山修司と同期。現在、弘前市で妻サタさんとの「二人展」を開いているという。そこに岩木山を撮った作品も展示されている由。沢田さんの目には、お山はどのように見えたのだろう。ベトナム戦争を撮影した「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞した写真家が撮ったお山を、ぜひ見てみたい。

 私は小学校のバス遠足で、一度、岩木山を訪れている。8合目までバスで上り、そのあと徒歩で山頂奥宮まで登った。360度のパノラマ風景は記憶になく、記憶にあるのは、木でこしらえた鳥居によじ登ったこと。津軽平野にそびえ立つ霊峰の頂に立って感慨深げに深く息を吸う、なんて殊勝さはカケラもなかった。でも、子どもっていつの時代もそんなもんだろう。

 機会があったら、いつか岩木山のてっぺんにもう一度立ってみたいな。老い先短い目には眼下の景色がどう映るだろうか。

 

【今日の一枚】エンジェルトランペット。

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 近所の庭に咲く。エキゾチックな気分を好む人は魅力を感じるのかもしれない。どうにも花が大振りすぎて私は苦手。どちらかといったら私はアケビ(木通)の花のほうが好き。まあ、好みの問題ですけど。

 この花、実は毒性が強いらしい。「庭師の散瞳」の異名を持ち、江戸時代は麻酔薬として使われた由。手入れの際は手袋をはめるほどとは、ちと物騒。

 

【書】「百般」ひゃっぱん(No.496)

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 「いろいろ。さまざま。すべて。般は、物事の種類。武芸ーー」(『旺文社漢字典』第2版)

 「百」は、白の上に一本の線を加えて数の「ひゃく(もも)」を示す。白はされこうべの形であるから数に関係のない字であるが、おそらく白(はく)の音をとるものであろう。百の字形に限って白の中に鼻の形を表すらしい△形が加えられている。→白川静『常用字解』

 「般」は、舟と殳(しゅ)とを組み合わせた形。舟は盤の形。殳に打つの意味がある。盤は物を入れて運ぶものであるが、この字の場合は楽器であるらしく、舟(盤)を楽器として打つことを般といい、般楽(はんらく=たのしむこと)のように「たのしむ」の意味に用いる。→同

 

【タイムラプス】10月28日(水)5:16〜7:07の伊豆長岡の空。27秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1321707727320592384?s=21