いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ランタンに火灯らずとも蔦あれば(あ)

 北国では、本格的な冬支度をしている頃だろうか。そんな思いで「たて書きコラム」を福島民友新聞「編集日記」まで目を通す。

 「たて書きコラム」に目を通すときの一区切りは福島民友新聞で、次の茨城新聞以降は時間に余裕がある朝だけしか目を通さない。理由は簡単で、福島民友新聞までが北海道・東北の新聞だからである。順番には毎日新聞「余禄」、東京新聞「筆洗」も含まれ、そしてなぜか西日本新聞「春秋」も含まれるが。

 で、今日の秋田魁新報「北斗星」に、弘前で発生した新型コロナウイルスのクラスターのことが載っていた。今月の初めには感染者が30人台と、全国で3番目に少なかった青森県が、クラスター発生によって今や200人に迫る勢いだという。小中学校は臨時休校の措置をとり、飲食店は休業を余儀なくされている由。新型コロナ感染は首都圏から地方に広がっているようで、いまだ収束の気配が見えない。

 秋も深まる北国の便りでも読もうと思ったら、新型コロナ感染による混乱が目に飛び込んできた。決して対岸の火事ではない。伊豆でも、いつ、どこで感染し、また感染させるか判らない。これからも気を緩めずに三密を避け、マスク着用を励行したい。

 さて、ここずっと体調を崩してお休みになっていた担任の先生が教室に戻って来た。もしかしてコロナ? と保護者の中には疑義の念を抱く向きもあったが、コロナとは関係なかったようで、まずはひと安心。心なしか、子どもたちも明るくなった気がする。子どもたちの心にも、もしかしたらという疑念がくすぶっていたのかもしれない。

 担任の先生は美術が専門で、来月に沼津で絵画グループの展覧会を開催する予定だという。体調を崩す前は、描かなきゃいけない絵を描く時間がないとおっしゃっていたが、もしかしたら、そこでの無理がたたって体調を崩されたのかもしれない。

 招待のハガキをもらっていたので、来月の展覧会には個人的に行くつもりでいた。その話をしたら、私も行きたいと言う子が出てきて、結局、最終日の日曜にその子たちと待ち合わせて出かけることになった。昼は皆でラーメンでも食うか、と言っている。楽しみ、楽しみ。

 

【今日の一枚】ランタンにからまるツタ(蔦)。

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 うちには車庫を照らす明かりがない。今時分は湯屋から帰ると家は真っ暗で、カブを車庫に入れてエンジンを切ると途端に暗くなって何も見えなくなる。

 そこで、ホームセンターで電池式のランタンを買ってきて車庫の庇にぶら下げたのだが、単4電池を3本入れても一晩しかもたない。風情があっていいかなと思ったんだが、結果は「安物買いの銭失い」でした。

 明かりの用をなさないランタンだが、別にぶら下げておいても邪魔にならないし、家のアクセサリーにもなろうかと、そのままにしておいた。

 そうしたら、いつの間にか蔦がいい感じにからまっていた。

 

【書】「任率」にんそつ(No.494)

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 「ことばや動作が自然で、うそいつわりがない。」(『旺文社漢字典』第2版)

 「任」の音符は壬(じん)。壬は工具の形で、工の形であるが中央が太くなっているので壬の字形となる。この上で金属を打ちきたえて器物を作るためのたたき台であるから、強い力や重さによく堪えることができる台である。それで任は人が「たえる、あたる、になう」の意味となる。→白川静『常用字解』

 「率」は、糸たばをしぼる形。糸たばの上下に小さな横木を通し、これをねじって水をしぼる形で、糸たばの左右に水滴がしたたる形をそえる。力を入れて強くしぼるので、「ひきいる」意味となり、水をしぼり尽くすので、「ことごとく、みな、おおむね」の意味となる。→同

 

【タイムラプス】10月26日(月)5:20〜7:02の伊豆長岡の空。25秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1320848805789536257?s=21