いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

みな土に還る定めや獺祭忌(あ)

 神奈川に勤めていた頃、毎年9月15日の「敬老の日」には教職員体育大会が行われていた。会場は地区持ち回りで、主会場が平塚だった年に私はバレーボールに出場して、予定通り午前の早い時間に負けた。で、夕方の全体反省会(呑み会)まで何をして時間を潰そうかと考え、釣り好きの同僚に手ほどきを受けて平塚の海岸で投げ釣りをすることにした。その同僚もバレーボールに出場していて、端から勝つ気などなく、早々に負けて釣りをしようぜという話になっていた。そこから私は投げ釣りにハマっていくのだが、それはまたいずれ。

 何の話かというと、9月15日は「敬老の日」だったという話。ところが今は、ハッピーマンデーの適用で、第3月曜日が「敬老の日」になって、15日は「老人の日」になった。それで、「老人の日」から「敬老の日」までを「老人週間」と言っている。なんともややこしい。

 なぜそういうことになったのかについては、さまざまな思惑があるらしい。そのあたりの経緯は吉海直人著『暮らしの古典歳時記』(角川選書)に詳しいようで、いわく、「当初は息子を戦場に送った親たちの苦痛を和らげる意味もあった」由だが、私はその本を読んでいない。今日の福井新聞コラム「越山若水」で紹介されていたので知った。

 人生100年時代と言い、町のいたるところで高齢者を見かける昨今である。私もその一人には違いないが、コラム子に「長らく社会に尽くしてきた高齢者を敬うことは人として自然な行為」と言われるとこそばゆい。大体私には「社会に尽くしてきた」という自覚がない。好き勝手なことをしてだらだらと齢を重ねてきただけのことだ。

 私の高校時代に同じクラスだった仲間のうち、既に鬼籍に入る人は6人に及ぶ。次は私の番かもしれない。その可能性は年々増している。今のうちにやっておきたいことは山ほどあるが、一方で、突然にお迎えがきたとしても別にどうということはないという覚悟みたいなものもある。

 「老人の日」といい「敬老の日」といい「老人週間」といい、そういう言い方で高齢者が敬われるのは一向に構わないが、「誰もが健康で安心して、生きがいのある生活を送ることができる健康長寿社会を築くことが重要です」(内閣府)と言われると、「生きがいのある生活」って健康で長生きすることなのかい? と茶々を入れたくなる。健康に悪いからタバコをやめよう深酒は控えようとキャンペーンを張ったところで、それでストレスが溜まるようなら逆効果だ。タバコを吸ったって100歳まで生きる人は生きるし、酒もまた然りだ。周りであまりガタガタ言わない方がいい。好き勝手にさせておくのがいちばんさ。

 

【今日の一枚】ミニトマトの鉢を撤去。

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 ひと夏お世話になったミニトマトを撤去した。サンチュは干からびて跡形もなく消え、長い間青々と歯を茂らせていた苺の苗も枯れ朽ちた。ナスを植えてある鉢は秋ナス収穫に残してある。ピーマンは白い花を咲かせたので、これも少し様子見で残すことにした。

 写真の土の見えている部分をブロックで囲ってミニ菜園にしたらどうだろう。それで、プランターの土をひっくり返してジャガイモを植えるんだ。

 

【書】「占有」せんゆう(No.457)

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 「自分の所有にすること」(『旺文社漢字典』第2版)

 「占」は赤い鉢巻をした臼、「有」は蟹をだました猿とくれば、猿蟹合戦の図。

 「Zen Brush 2」で書いた字をPNG(透明)で画像保存し、それを「Procreate」に読み込む。で、新規レイヤーを追加して彩色する。そうするとうまくいくことが判った。

 

【タイムラプス】9月19日(土)6:57〜9:16の伊豆長岡の空。34秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1307442988994318337?s=21