いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

富士秀麗秋夕焼にたじろがず(あ)

 今年の学校祭体育の部(体育祭)まで残り一ヶ月を切った。

 今日のグランドでの朝練習は、2年の学年種目・大縄跳び。今日の段階で40回近くも跳んでいるチームもあって、だんだん盛り上がりを見せてきた。

 今年はコロナ禍の影響もあって、種目も精選されることになったが、目玉の学年種目と全級リレー(クラス全員が走る)はどうしたって削るわけにはいかない、とは全校の一致した意見。

 翻って、私は今、自分が中学生だったときの運動会を思い出そうとしている。が、私が400m走に出たこと以外は見事に記憶にない。順位も覚えていない。

 運動会に関しては、中学校より小学校の方が多く思い出せる。

 当時は(昭和30年代)、小学校の運動会といえば村全体の一大イベントだった。そろそろ稲刈りが始まろうとする書き入れ時に、田畑よりも小学校の運動会が優先された。

 私が通った小学校は青森県の陸奥湾に面し、村を東西に突き切る国道4号線に沿って家が並んでいた。青森の中心街に近い方から上中下(かみなかしも)の三地区に分かれ、運動会は地区対抗戦の様相を呈していた。

 シーズンになると、村の雑貨屋に「運動足袋」なるものが並んだ。皆はそれを履いて走るのである。足袋の底はゴム製で、それを履くといかにも速く走れそうな気がした。

 応援席は陣取り合戦で、早い者勝ちで良い場所にゴザを敷いた。昼はそこで家族と一緒に、運動会のために丹精込めて作られた重箱料理を箸でつつく。私の好物は、なんと言っても卵焼き。おにぎりは新聞紙でくるんであるから、白いご飯に新聞の字が印されて、今思えば、よくそんなもの食えたなあと思える代物だが、包み紙などない当時は、それが当たり前だった。

 昼ご飯を終えての楽しみは、なんと言っても「アイスクリン」。今は「ババヘラ」と称して、十和田湖畔などで売られる。あの、シャーベット状のしゃりしゃりした舌触りは、なんともたまらない。幻の津軽の名品と言ってもいいくらいである。ソフトクリームとアイスクリンが並んでいたら、私は今でも躊躇なく後者を選ぶだろう。

 私は、応援席のゴザに父の姿を見たことがない。その頃の父は、雇われ船頭として知床に出稼ぎ、鮭を獲るのに忙しかったから、運動会どころではないことは子供心にも判っていた。が、そのことで寂しいと思ったことは一度もない。それが当たり前だと思っていた。

 なんだか急に小学校の運動会のことを思い出した。今日はちょっと感傷的になっている。これも秋だからだろうか。

 

【今日の一枚】夕焼けの富士山。

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 湯屋へ行こうとして家の前の道路に出たら、夕焼け空に富士山のシルエットが見えた。

 そして、いつも思うことだが、正面の電柱が景観を損ねてます。あの電柱、どうにかならないかね。

 

【書】「兄事」けいじ(No.453)

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 「相手を兄のように尊敬して仕える」(『旺文社漢字典』第2版)

 「兄」も「事」も縦長の字で形も似ているので、「兄」を左に、「事」を右に少し傾けて変化を持たせた。

 

【ディジタル画】裸足で漁港を歩く老人(No.84)

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 アップにずいぶん間が空いたかと思ったが、累計を表示するのに調べたら、前回アップしたのは9/8だった。一週間に一回のペースだったら、まあいいか。

 シャツのチェック柄をどう表すかに腐心した。これで約2時間。

 

【タイムラプス】9月14日(月)4:50〜7:07の伊豆長岡の空。34秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1305635397741944832?s=21