いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

焼き鳥は四本がいい独り秋(あ)

 3分10秒。

 これは何の時間かというと、東日本大震災で揺れが続いた時間だという。今日(9/9)の福島民報コラム「あぶくま抄」で知った。

 東日本大震災が起こったのは平成23年(2011)年3月11日。今から9年前のことである。揺れが起こった時、私は横浜の高校にいた。揺れが来て収まるまで、ずいぶん長いなとは感じていたが、それが3分10秒も揺れていたとは思わなかった。数字に置き換えてみると、改めてその長さに驚く。その後に襲ってきた津波は周辺地域に甚大な被害をもたらし、亡くなった方は1万5,899人、今なお行方が不明の方は2,529人にのぼる(2020.3.6現在)。

 全ての日常を一瞬にして奪い去った東日本大震災は、その後の私に少なからぬ影響を与えた。

 まず、本棚の本を全てPDF化してパソコンのハードディスクに保存した。裁断した本は古紙回収の日に捨てた。テレビで家々が津波に流されていく映像を見て、そう決めた。

 私は、定年後は阿武隈山地に住もうと思っていた。沢が流れる広大な敷地で自給自足の生活をして老後を過ごすつもりでいた。それで、住んでもよさそうな土地をいくつか見て回った。が、その構想はフクシマ原発事故で一気に吹っ飛んだ。私が下見した土地はフクシマ原発から程近いところだったのである。

 もし、あの事故がなかったら、今の私はたぶん伊豆にいない。阿武隈で山羊とたわむれていたと思う。孫も夏休みくらいにしか顔を見なかったと思う。

 フクシマ原発事故で、定年後のプランをもう一度立て直さざるを得なくなったところへ、伊豆の話が降って湧いた。田舎物件情報誌に、今の家の情報が載っていたのである。早速下見を願い出て、見ると建物にはだいぶ傷みがある。が、これまで阿武隈や山形の上物を見てきた目で見ると、素人でもなんとか修繕を試みれば住めそうな気がした。それまで、とても住めたものじゃない物件をいくつか見て、多少目が肥えていたのかもしれない。

 その目を信じて、今の家を衝動買いした。資金は退職金を当てた。カミさんには事後報告。それにむくれたかどうか、カミさんは「あたしゃ(伊豆へ)行かないよ」と言ったものだ。「こっちに残って70まで働く」と言い出した。

 それまで住んでいた辻堂のマンションをなきものにすれば伊豆へ来ざるを得ないと読んだが、カミさんは、今度は横須賀の実家に籠もった。職場も久里浜に変えた。

 というわけで、私はしばらく単身赴任の形で伊豆にいる。独り身をいいことに伊豆で好き勝手なことをしている。今後どうなるか判らないが、どうして伊豆に流れ着いたかの経緯は、こんな感じです。

 

【今日の一枚】コンロで焼き鳥を焼く。

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 焼き鳥の「ねぎま」は精肉店で買った。前は10本買って2日に分けて5本ずつ焼いていたが、5本並べると端の肉まで火が通らない。それで買うのを8本に減らした。中火のコンロに4本並べ、中2本と端2本を入れ替えながら焼く。枝豆をつまみながらビールを飲み、飲み物が焼酎のお茶割に代わったところで焼き鳥が色よく焼け、晩酌の第二ラウンドが始まる。

 焼き鳥を焼く時は、部屋が煙だらけになる。カミさんがいれば、カミさんはそれを嫌がるが、私は渋谷の井の頭線のガード下の焼き鳥屋で飲んだ昔を懐かしく思い出しながら一杯ひっかける。窓という窓を全開にして煙を逃す。すると、そこへ涼やかな虫の音が入ってくる。そうして私は秋の気配にしばし酔いしれるのである。

 

【書】「文身」ぶんしん(No.448)

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 「いれずみ。刺青」(『旺文社漢字典』第2版)

 夕焼け空のグランドで、サッカー選手がビブスを着て紅白戦をやっている図に見える。「身」がシュートを放つ人で、「文」がゴールキーパー。

 書いている時は全くそんなことを考えなかった。書き終えてから、そういえばそう見えなくもないと思った。

 

【タイムラプス】9月9日(水)5:25〜7:08の伊豆長岡の空。25秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1303820431711850497?s=21