クラスに普通学級の授業を受けたいと希望している子がいて、今週9/2(水)から慣らしで国語と社会の授業に参加している。なんとかやれる目処が立てば、来年度から普通学級に移籍する予定。その判断材料を私が観察記録する。
今日は初めて社会科の授業に出た。社会科の担当の先生は、導入されたばかりの電子黒板を上手く活用して授業を展開していた。授業は地理分野の日本の農業を扱う。
教科書を開いて、地図帳を開いて、ノートを開いて、配られた資料のファイルを開けば、それだけで机上は満杯になる。さらに説明は電子黒板を使ってより丁寧に行われるから、目線をあっちにもこっちにも移さなければならず目まぐるしい。
授業はテンポ良く進み、50分があっという間に過ぎた。私には大変面白かったが、その子にとってはどうだったか。最後に先生は、日本の食料自給率の低さを問題提起し、将来、農業をやりたいかと子どもたちに挙手を求めたら、手を上げた子は一人もいなかった。食料自給率が低いことは問題だが、だからといって自分が農業をやるのは嫌だというのが本音といったところか。
現在の世界人口は77億人(2019年)で、これが2030年には85億人、2050年には97億人、2100年には109億人になるという。<https://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/33798/>
そこで考えた。今後も世界人口が増え続ける中で、これからも日本が食料を輸入に頼りきるのはいかがなものか。仮に、これまで日本に食料を供給してくれた国から、人口が増えて自国の分で手一杯になったから日本に回す余裕なんてないと輸出を断られたら、日本はどうすればいいだろう。日本の食料がたちまち頓挫することは目に見えている。食料自給率が低いということは、常にそういう問題を抱えているということだ。
食料自給率をアップさせるには、農業は儲かるという仕組みをこしらえるのが手っ取り早いと思うが、具体的に何をどうすればその重労働に耐えられるだけの儲けが得られるようになるのかは、門外漢の私にはよく判らない。ただ、日本の農家さんのささやかな一助になるよう、割高でも国産を買う程度のことしかできない。
【今日の一枚】富士山のシルエット。
湯屋の帰りに富士山が見えた。
湯屋の帰りはずっと富士山に向かってバイクを走らせる。で、この墨絵のような富士山をどこで撮ろうかとずっと考えながら走っていた。
折しも、部活動を終えた子らの下校時にあたり、道には多くの下校生の姿が見えた。狩野川支流の橋のたもと、最寄り駅の駐輪場、小学校の校庭フェンス越し、寺院の急坂の上り端などなど、いいなあと思ったところには大抵下校生がいた。いても別にやましいことをしているわけではないから構わないが、「何してるの?」とかけられるだろう声にいちいち反応しなければいけないのが煩わしくてそのまま突っ走った。
そして、最後のビュースポットの津軽三味線教室前でバイクを停めて撮った。ここからのアングルは決して悪くはないのだが、張り巡らされた電線が景観美を少しく台無しにしている。
正面のオレンジの明かりは高校のグランドを照らす夜間照明。その真横のはスーパーの看板を照らす明かり。中央の小高い丘を越えた向こうの右側が三島、左側が沼津の市街になる。富士山の手前の雲にすっぽり覆われている丘陵が愛鷹(あしたか)山。
もう少し暗くなると眼下の夜景も見事なのだが、夜景はiPhoneでは撮れない。撮れる方法はあるらしいが、私は試したことがない。
【書】「弔臨」ちょうりん(No.443)
「死者の家に行ってとむらう」(『旺文社漢字典』第2版)
「インキング」の「インカ」ブラシの「ストロークのプロパティ」にある「ジッター」というやつを20%にしてみた。と書きながら、自分でも何のことやらさっぱり判らない。
要するに、今まで馴染んだ「インカ」ブラシに滲みを加えたくて、「ジッター」の数値を0%から20%にあげてみたら、少し滲んだ感じが出ることが判ったという話。
「弔臨」の二字はどちらも金文で、「弔」の方は甲骨文にも見られるが、上向きの矢印の形は金文特有のもので、甲骨文には見られない。
【温泉】一二三荘。
【タイムラプス】9月4日(金)4:50〜7:12の伊豆長岡の空。35秒。
https://twitter.com/aisakajiro/status/1302067946127110144?s=21