いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

茶割にも今年最後のミニトマト(あ)

 8時半から公民館花壇の草むしり。家の庭の草むしりをうっちゃって公民館を優先してのこのこ出かけるあたり、カミさんがいたら公民館より先にやるべきところがあるでしょ? と言われかねない。

 公民館の草むしりを終えて、せっかく草むしりモードになったのだから、そのまま庭の草むしりを済まそうと思ったが、思っただけでやらなかった。たぶんカミさんがいたらやったんだろうな。独り暮らしだとそういうことになる。

 

【今日の一枚】今日の晩酌。

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 晩酌は、缶ビールの後に焼酎のお茶割を好んで呑んでいる。お茶は、伊藤園の「濃い茶」。くわっと一気に暑くなった梅雨明けからそうしている。これをちびちび呑りながらPDF化した電子書籍に目を通すのを楽しみとしている。

 心地よい状態のまま読み流すから、あれ? 何書いてあったっけと思い出せないこともしばしば。でも、それが無意識のうちにブログの表現に現れ、自分ではオリジナルな表現のように得たりと思っても、それがどこかの書籍の言い回しであったりする。夢見心地にも、気に入った文言は頭に溶け込んでいるらしい。

 今日は一二三荘に「鮎めし」が売れ残っていたので2パック買ってきた。今日中に処分しなければいけないということで1パック150円の半額になっていた。支払いをPayPayで済まそうとしたら、「これはPayPayが使えないんですよ」と女将さん。湯札の回数券はPayPayが使えるのに「鮎めし」に使えないって、どういうこと? 

 皿の盛り付けは、ベーコン、ミニトマト、冷凍コーン、冷凍エビいかミックス。最初、ベーコンとミニトマトだけを炒め、それを晩酌のつまみにしようとしたが、冷凍庫にコーンとエビいかミックスを見つけ、慌てて加え混ぜた。そうしたら、エビいかミックスがなかなか解けなかったので、白ワインをちょこっと注いだ。そんないい加減な味付けだが、つまみとしてはまあ及第点、かな。

 ミニトマトは庭のやつ。この前孫娘の摘み採ったのが今年最後と思っていたが、その後も赤く色づいた実がいくつかあったので、それを摘んで半分に切り炒めた。最盛期ほど甘くはないが、実は締まって炒めても実崩れしなかった。ほどよく酸味が広がって、遅れたトマトは炒めていただくのがよろしいようです。

 

【書】「至善」(No.433)

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 「至善」とは、この上もない善いこと、の意。めでたい言葉で、学校名や会社名にも使われる。

 「至」を、もう少し横にへちょっと膨らませたほうが全体のバランスとしてはよかったか。

 

【ディジタル画】山崎正和(No.78)

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 8/19(水)、悪性中皮腫のため兵庫県の病院で死去。享年86。

 著書「水の東西」は高校教科書の定番で、現役時代に何度も教材として扱った。訃報を受け、氏の著書をPDF化した中から検索したら『柔らかい個人主義の誕生』がヒットした。

 第一章「おんりい・いえすたでい’70s」では「柔軟な個人主義の萌芽」について述べられ、中に「いまや、家庭や企業内集団が少なくとも人生のすべてではなくなり、個人が同時に別の人間関係を重く見るやうになると……」とあって、当時はまだインターネットは今ほどに普及しておらず、したがってブログなどのSNSが個人を表現する場として広く老若男女に浸透する以前の話だが、読んで、あたかもそういう時代が来るだろうことを予測する眼力の鋭さを感じた。

 私が今やっていること、ブログを通して個を表現していることそのものが、まさに氏の言う「柔らかい個人主義」のような気がしている。最初は、私の後に残される家族のためにブログを書くというスタンスだったが、今は、家族というくくりを超えて、これが私の今を生きるすべてであり、そのことから生じるだろう横のつながりを楽しみたいという気持ちがブログを書かせる原動力になっているように思う。

 だから時には、どうだっていいじゃねえかそんなこと、といった内容のブログもあるが(ほとんどがそれだが)、さりげない日常の中から「うん、あるある」といった感情を共有できたら嬉しいと思って、こうして今日もだらだらとブログを書いているのである。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】8月23日(日)6:29〜8:17の伊豆長岡の空。26秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1297655090921103366?s=21