いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

底紅の散り窄んでや湯屋帰り(あ)

 記録的大雨で熊本県を流れる球磨川が氾濫し、49人の犠牲者が出た。今なお11人の行方不明者がいるという。それらの方は今も泥まみれで、どこかで救助を待っているのだろうか。4年前の熊本地震に続く災害で、熊本に大学の悪友を持つ身としては心穏やかではない。

 そいつが大学時代のある日、体連本部に球磨焼酎を持ってきて、地元の酒だ呑んでみろと勧められて一口呑んだことがあったが、口から火が出そうな度数で、いくら酒が好きな私でも呑み干せなかったことを覚えている。そいつは酔うとよく「田原坂」を歌ったものだ。♪雨は降る降る 人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂 シャカホイシャカホイ♪

 その球磨川が氾濫した。中学の地理で最上川、富士川、球磨川は日本三大急流として習った、その球磨川である。昔から暴れ川として地元の人たちも油断怠らずに流れを見守ってきたはずなのに、氾濫から身を守ることはできなかった。

 氾濫するぞするぞと判っていながら、その流域に住まざるを得ない事情はいろいろあろうけれど、今回の避難には、いわゆる三密によるコロナ感染を避けるためのためらいがあり、それが避難の判断を鈍らせたのではないかとの分析もある。

 そのあたりがどういう影響を及ぼしているかは定かではないが、人様に迷惑をかけられないと思う高齢者も多かったのではないか。自分が避難所に駆け込むことによって、同じく避難した他の人に迷惑がかかってしまうのではないか。そう思ったとしても不思議ではない。

 災難が襲ってきたときは、お互い様なんだから、みんなで協力して助け合いましょうというのは耳に心地よく響くが、全ての高齢者がそれに首肯するかどうかは判らない。このコロナ禍で、人様に迷惑が及ぶことを考えて避難をためらうことは十分ある得ることだ。

 人は長寿をめでたいこととして祝するが、祝されるご本人は果たしてめでたいと思っているだろうか。私がそう思うだけかもしれないが、長生きするということは、生き恥を曝すだけだと考えるお方もおられるのではないか。

 でも、たとえそれが本音であっても、それは決して口に出してはいけない。世のすべての人がそう思っていて、ニュースを報道するメディアの人たちも本音を厳に封じ込めている。「それを言っちゃおしまいよ」なのである。

 例えば私が身内の人に「早く死ねよクソじじい」と言われたとして(言われたことはないが)、それは暴言かもしれないが、実は本音でもあるのである。

 

【今日の一枚】庭のムクゲ(木槿)の花。

f:id:jijiro:20200707072954j:image

 うちの木槿は赤紫。この下に赤と白の椿があるが、両者の枝先が絡み合って密をなしている。隣家の玄関からの目隠しの役目を損なわない程度に剪定しなければ。

 今の家を手に入れた8年前は、木槿と椿の間はたぶんスカスカだった。梅と金木犀の枝もそう。変化のない庭木のようだけど、じわりじわり成長しているんだな。

 庭木を小ぎれいに整えているお宅は、きっと家主の手入れが施されているんだろう。ジャングル状態だと見た目もうざいから、そうなる前に少し手入れをしておくか。 

 

【ディジタル画】サンダルばきの老人(No.45)

f:id:jijiro:20200707073012j:image

 輪郭を「インカ」で描き、「ソフトブラシ」で彩色した。その上にシャドーを上塗りした。新規レイヤーは立てなかった。本当は一つひとつの操作にレイヤーを細かく立てるべきなんだろうね。その辺のところにまだアナログの感覚が残る。

 背景には少し「ぼかし(ガウス)」を入れてある。

 これで大体1時間半。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】7月6日(月)4:44〜7:13の韮山方面の雨空。37秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1280266905266253826?s=21