いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

甘夏の実の寄り合へる青さかな(あ)

 6校時の「学級活動」で職業調べをやった。で、そのとき子どもに訊かれた。「先生は、子どもの頃何になるのが夢だった?」

 私は、「大工か、漫画家になるのが夢だった」と答えた。「ふうん。じゃあ先生は、その頃の夢を捨てて先生になったの?」その質問には、「まだ夢は捨ててないよ」と答えておいた。

 それは嘘ではない。職業としての大工や漫画家にはなれなかったけれど、私が今こうして家の修繕を楽しんだり画を描いたりしているのは、子どもの頃に描いていた夢の延長にあるような気がする。小さい頃にそういうことをやってみたかったと思ったことを、めぐりめぐって今やっているんだと思う。

 お金を稼げるような技術は持っていないけれど、毎日楽しくやっていけるだけの環境が、手を伸ばせば至るところで捕まえられる。私は今そのひとつまみをやっているに過ぎない。でもそれが何より楽しい。

 子どもたちには、仕事っていうのは何をするにしても大変だよ。好きなことをしてお金を稼げればそれがいちばんいいのだろうけど、世の中はなかなかそううまくもいかない。でもね、子どものときに抱いた夢は捨ててはいけないと思うんだな。いつ、どこで、どんな形で夢が現れるか判らないからね。

 私は、この歳になってようやく小さい頃に思い描いた夢にたどり着いた。ほんと、ちっぽけな夢だけどね。でも、それをやっていると楽しいんだ。だから今の私は、毎日が楽しくて仕方がない……。

 私はこれまで、父母をはじめ、同級生、同僚などなど、いくつもの身近な人との死と向き合い、その度に自分に与えられた命の使い方を考えてきた。そして、生きたくても生きることが叶わなかった人の分まで毎日を楽しむことが私に残された生き方だと思ってきた。私が楽しむところをその人たちがどこかで見守ってくれていると思うと心安らかになれるのである。

 苦あれば楽あり、楽あれば苦あり。昔から苦と楽は交互に巡ってくると相場は決まっているが、私は、苦しいときはあえて楽しい顔をしようと心がけている。苦しそうな顔を周囲に見せると、それを見る周囲も苦しくなると思うから。

 自分の心に素直であれというのは耳触りのいいフレーズだけど、ときには自分の心に堪忍を強いなければいけないときもある。自分の心に素直な人ばかりだと世の中の秩序は保たれない。自分さえよければいいという風潮がはびこる。世の中は持ちつ持たれつで、困っている人がいたら手を差し伸べてやり、自分が困っていたら素直に相手の親切を受け入れるという按配でいきたいものだ。

 そんな思いを子どもたちに伝えたいのだが、忠言は耳に逆らうのが常で、子どもたちの耳にはなかなか入っていかないようです。

 

【今日の一枚】甘夏の実。

f:id:jijiro:20200630070647j:image

 去年の実がまだ三つ枝にぶら下がっているが、そのままにしてある。でも、今年の実がこれだけ大きくなると、去年の実に滋養が奪われないかと心配。次の休みにでも残った三つでマーマレードでも作るか。

 

【ディジタル画】電車の老女(No.39)

f:id:jijiro:20200630070632j:image

 シャドーは下描きの「6B鉛筆」だけにして彩色を加えなかった。いや、光沢を表現するためにサングラスだけ塗った。同じく光沢を出すためにとサングラスのフレームにハイライトを入れたが、こちらは塗り残しのムラのように見えて、あまり効果的ではなかった。

 最後に、背景に「ぼかし」をかけたが、かかったのは真ん中の壁だけで、両端はかからなかった。なぜだろう。よく判らない。それで、「ソフトブラシ」でところどころ彩色した。

 「ぼかし」のかけ方をマスターしたつもりでいたが、まだまだ未熟です。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】6月29日(月)4:43〜7:14の伊豆長岡の空。37秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1277725020513464320?s=21