いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

青柿や週末の夜は何もせず(あ)

 西日本新聞コラム「春秋」に吉野弘さんの詩が載っていた。

  日々を過ごす

  日々を過(あやま)つ

  二つは

  一つことか

  生きることは

  そのまま過ちであるかもしれない日々

この詩を引用し、同紙「こどもタイムズ」に掲載された小学6年の子の「おとなに聞いてほしい」を紹介する。「(暑い夏にマスクをし、友達と距離を保ち、急いでたくさん勉強する)。『考えただけで息が苦しくなり、学校に行くのがつらいと感じます。僕たちはロボットではありません』」「子どもの時にしかできないことがたくさんあります。勉強も大切なことだと思いますが、友達と遊んだり、ケンカして仲直りしたりして学ぶこともとても大切だと思います」

 学校は、臨時休校だった期間の勉強を取り戻すために、夏休みを利用してその補充に充てるという。私の勤める学校も夏休みは8月8日から23日までと決まった。こんなに短い夏休みは、もちろん初めてだ。

 子どもたちは知っている。学校の勉強が大切だということを。でも、それ以上に友達と遊んだりケンカしたりするところから学ぶことのほうが、人生にとってもっと大切だということも知っている。

 ここで私は、私が小学生だった頃のことを思い返す。私はどんな小学生だったろう。

 小学1年は入学式の記憶もなければ担任の先生の記憶もない。下校時に腹痛を起こし、便意を必死にこらえてやっとこさ家にたどり着いたことだけは覚えている。

 小学2年は、2年も終わろうという春分の日に校舎が燃えたのを、近所の友達と高台の神社から眺めていたのを覚えている。確か、手にはぼた餅を持っていた。

 小学3年のとき、燃え残った体育館を間仕切った教室で「みのかさ」と書いた書写作品が地元テレビ局に紹介された。後でその元版を記念にもらったが、その大きさがハガキよりもはるかに小さいことに驚いた。

 小学4年には、妹が家の前の国道4号線で車に轢かれ命を落とした。その時私は小学校の校庭で友達と遊んでいたが、母が半狂乱になって私の手を引っ張り、校庭沿いの東北本線の土手を病院に向かって走り、妹の名を連呼していたのを今でも忘れない。

 小学5年には東京オリンピックがあった。そのオリンピックが始まる前の夏休みに私は肺炎で2週間ほど県立病院に入院した。有り余る時間を持て余すかのように、私は探検ごっこと称して病院のあちこちを覗き見て回り、それ以外はプラモデル作りにいそしんだ。その時の母親の心労はいかばかりだったか。幼かった私はまだそこまで頭が回らなかった。

 小学6年の修学旅行で函館の湯の川温泉に泊まった。その帰りの青函連絡船の中で、静岡県から旅行に来ていたある男性と親しくなった。別れ際に「また会いましょう」と心にもないことを言ったら、後日、本当にまた会いに来たのでいささかうろたえた。

 とまあ、記憶に残るのは全て学校外のことで、でも、そこから学んだことは、学校の勉強では得られない貴重な体験ばかりだったと今は思えるのである。

 

【今日の一枚】庭の柿の実。

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 渋柿です。

 密集した実を摘み取って、やたら多く実らないようにするのを摘果(てきか)という。今年は豊作が期待されるが、自然に任せてウジャウジャ生らせたままにしておくと一つの実の滋養も薄まるので、手の届くところだけでも摘果しようと思う。

 久々に吊るし柿が食えそうだ。ぐふふ、楽しみ楽しみ。

 

【ディジタル画】帽子をかぶった男(No.37)

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 シャドーを意識して描いた。シャドーがやや濃かったかもしれない。

 背景は、「木炭」の「焦げた木」ブラシでサッと三筋塗って「ぼかし」をかけた。

 これで大体2時間。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】6月26日(金)4:48〜7:27の伊豆長岡の空。39秒。

https://twitter.com/aisakajiro/status/1276701430636666885?s=21