いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

疫病の終息祈願青嵐(あ)

【今日の一枚】キンシバイ(金糸梅)。

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 通勤路の途中に廣瀬神社という社がある。創祀年代を不詳としつつ、慶長元年の棟札に天平5年(733)と記されている由。そんな古くからこの地に鎮座ましましてあったとはにわかに信じがたい。

 そこに、「疫病終息祈願」という幟旗が立っていたので、それを写真に収めようとバイクを境内に停めたら、脇の植え込みに金糸梅が咲いていた。

 このコロナ禍の終息は「神だのみ」しかないようだ。昔の人は、こうやって人力の及ばない魔力に接したとき、神に祈願するしかなかったのだろう。いや、今だって、科学的根拠などまるでないと知りつつ、いても立ってもいられずに幟旗を立てて終息を祈祷するのだ。

 ところで、「しゅうそく」には「終息」と「収束」の、どの漢字を当てるのが正しいか。

 「国語大辞典」(小学館)によると、

「収束」……①集めてたばねること。②おさまりのつくこと。決着がつくこと。

「終息」……おわること。やむこと。終止。

とあり、「収束」の用例として、夏目漱石『道草』の「云ふことは散漫であった。<略>収束する所なく共に動いてゐた健三は仕舞に飽きた」を挙げる。

 この漢字の使い分けを調べるために、久方ぶりに本棚から「国語大辞典」を取り出した。今は意味を調べるときはもっぱらディジタル辞書の「大辞泉」(小学館)か「大辞林」(三省堂)を使うから、益ます「国語大辞典」の出番がなくなった。

 ちなみに、「大辞泉」と「大辞林」では、用例をどう記しているか。

「大辞泉」では、

「収束」……事態の収束を図る。争議が収束する。

「終息」……蔓延(まんえん)していた悪疫が終息する。

「大辞林」では、

「収束」……争いが収束する。事態は収束に向かった。

「終息」……インフレが終息する。

 これによると、疫病ということに関して言えば「終息」が当てはまるようだが、収拾がつかない社会の混乱という観点からすると「収束」がふさわしいということになるか。

 つまりは、コロナ禍を、蔓延している悪疫と見た場合は「終息」を使い、社会の混乱と見た場合は「収束」を使う、と結論づけられそうだ。

 ところで、金糸梅の花言葉は「秘密」。たまたま偶然だけど、「疫病終息祈願」の幟旗の脇に金糸梅が咲いていたというのも謎めいて面白い。

 

【四コマ絵日記】梅ジュース(No.2)

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 実梅を漬けた瓶はコピペした。先週のある日、瓶を持って中身をかき混ぜようとしたら、プクッと発酵した泡ぶくが見えた。そのことを四コマ漫画にしてみた。

 泡ぶくが出るというのは、実は失敗作なんですよね。その失敗も含めて、実際に飲み比べて味の違いを知るのも生きた勉強のつもり。だから、あえて作り直すことはしなかった。試飲した感想の中に「お酒みたい」というのがあったが、あながちはずれではない。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】6月14日(日)4:45〜7:27の韮山方面の雨空。20秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10223277049296698/?d=n