いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

鉢植えの苗に若芽の初夏の風(あ)

 今日から学校が再開した。2ヶ月遅れの新年度スタートである。

 「三つの密」をはじめ、いろいろ制約のある学校再開だが、やはり子どもたちの元気な笑い声が響く学校って、いいね。

 仕事を午後3時に上がり、帰宅して湯屋へ出かける前の2時間ほどの時間に「ディジタル画」を描く。本来なら、4月当初からこういうスタイルで新生活が始まる予定だった。それがようやく今日から実行できる運びとなった。

 これからしばらくこの生活スタイルで「ディジタル画」の勉強をしていこうと思う。モデルの画像は「Unsplash」からダウンロードしてiPadの「ファイル」フォルダに溜め込んであるので、いつでも取り出せる。描いて、描いて、描きまくっているうちに、自分なりのスタイルができてくれたらいいと、淡い期待を抱きながら、画を描き溜めていこうと思う。

 ところで、自分の画のスタイルってなんだろう。例えば、漫画の神様・手塚治虫はどのようにして自らのスタイルを身につけていったのだろう。石ノ森章太郎は、赤塚不二夫は、水木しげるは、長谷川町子は……。

 最近のコミック誌を見ていると、上手いなあと唸るものばかりだが、どこかディジタルの匂いのするような作画も散見するようになってきた。ディジタルをどのようにうまく使いこなすかが作画の腕の見せどころ、みたいな様相を呈している。

 ひと昔は、売れっ子作家のアシスタントとして、背景などを手伝いながら作画の修行を積むというスタイルがあった由だが、今は、人件費の絡みもあって、手伝いをディジタル機器に頼むシーンも多くなってきているのではないかと見ている。

 ついこの間、手塚治虫の作画を学習したAIが、「ぱいどん」という新作漫画を描いて話題になったが、これからはコミック界でもAI化やディジタル化が進んでいくことになるのだろう。その方が効率的だし、経費節約にもなる。

 しかし、いくらAIが精巧な画を描いたとしても、それで読者の心を揺さぶることができるかというと、それままた別問題のような気がする。

 とまれ、私は作画スタイルをディジタルから学ぶとしても、最終的には、ディジタルでアナログの墨絵のような作品を描けないかなあと、欲張ったことを思っているのである。

 

【今日の一枚】イロハカエデ(イロハモミジ)の新しい葉。

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 庭木の下草に混じって生えていたイロハカエデを、むしった草と一緒に捨てるに忍びなく、鉢に移植して水遣りをしていたのだが、もう一つは元気なのに、こちらはみるみる元気がなくなって、そうこうしているうちにとうとう枯れてしまった。それでも未練がましく水をやっていたら、おお、新しい葉っぱが生えてきた。よかった、生き返った。

 

【ディジタル画】No.13

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 「スタジオペン」で輪郭を描き、塗りを「水彩」で施そうとしたが、そのやり方が判らず、結局、同じ「スタジオペン」の色を換えて輪郭をなぞり、彩色した。う〜ん、まだまだ使いこなせていない。

 新規レイヤーを追加して、それを下層に持っていき、「サイラシン」というブラシを使って、猫の爪で引っ掻いたような模様を背景に描いた。

 これまで添えていた字は、今回は書かなかった。

 右の二の腕と腕時計に影を描いてみた。なるほど、こうすると立体感が出るのだな。

 

【温泉】今日は取りやめて内風呂で我慢。

 一二三荘に行ったら、厨房から女将さんが飛び出してきて、「ごめんなさい、今の時間帯、貸し切りなの」と申し訳なさそうに言う。「これ」と言って女将さんが指差した玄関ウィンドウにはその旨の貼り紙がしてあった。それを見て確認していなかった私が悪い。というか、張り紙がしてあったことを知らなかった。

 

【タイムラプス】6月1日(月)4:53〜7:09の伊豆長岡の空。33秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10223142170404810/?d=n