いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

手作りのマスクをママの誇りとす(あ)

午前中は予報通り冷たい雨が降り続いた。東京や横浜では雪が降ったとニュースで知る。横須賀はどうだろうか。カミさんから何も言ってこないところをみると、雪にはならなかったのかもしれない。いや、雪が降ったとしても、それくらいでどうのこうの言ってくる玉ではないことは先刻承知之助ではあるが。

「もしかしたら、小田原は雪かもよ」と、伊豆に預かっている孫娘に言ったら、「いいなあ」と返ってきた。これが大人と子どもの発想の違い。というか、雪国育ちかそうでないかの違い。雪の滅多に降らない地に生まれた子どもは雪というだけではしゃげるが、雪国に生まれ育った身は素直にはしゃげない。それは、非生産的な雪の厄介を知っているから。

それを逆手にとってその名を全国に知らしめたのが青森山田高校サッカー部と言える。熱血漢・黒田監督の指導の賜物である。

私は青森の生まれで、高校を卒業するまでの18年間を青森で過ごした。雪にまつわる思い出は枚挙にいとまがないが、暖冬の伊豆にどっぷり浸かってみれば、今さら雪の苦労を味わいたいとは思わない。

「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」と室生犀星は詩「小景異情」に詠ったが、私にとって故郷は、少なくとも「悲しくうたふもの」ではない。津軽弁の響きに、昔はある意味劣等感を抱いていたが、むしろ今は誇りに思っている。全世界でそこだけでしか通用しない独特の言い回しを持ったことを、とてもありがたく思う。

たかが雪ごときでおたおたしている首都圏の様子をニュースで見るにつけ、津軽の雪こだばこただもんでね(津軽の雪はこんなものではない)と、言わないけれど言いたくなるのである。

【今日の一枚】ハンカチマスク。

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品薄のマスクを並んで買うのもバカらしいので、自分で作ってみた。

ネットの動画を参照しようとして「ハンカチマスク」で検索したら、うじゃうしゃヒットした。そのうちの簡単そうなやつを参照して作ったのが、これ。

手間はゴム紐で輪を作ることだけで、これさえ作ればあとはできるまでに10秒もかからなかった。ゴム紐は、藤沢から持ってきた裁縫箱に紛れていたのを使った。

作るのはいとも簡単だと判ったが、街を歩いていても、そういうハンカチマスクをした人に出会わないのはどうしたわけか。マスクをしている人は一様に市販の白い使い捨てを使用している。

柄の入ったマスクは単純に白いのよりはよほどお洒落な気がするが、どうしてみんな着用しないのだろう。皆と違っていると何となく気恥ずかしい思いが働くのだろうか。ネットにはあれだけたくさんの個性的なマスクがあふれているのにね。ここにも右へ倣えの国民性が出ている。

 

【タイムラプス】3月29日(日)15:59〜17:52の伊豆長岡の空。28秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10222403843027087/?d=n