いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

駅ホームにもうつとりと朧月(あ)

今朝も職場まで歩く。昨日見た姉弟の二人はおらず、代わりに慌てて玄関から出てきた男の子が私の先を歩いていた。いつもの土の階段を降りて広い道路に出ると、集団登校の列はすでに歩き出していて、その最後尾に昨日の二人の姿が見えた。

集団登校の列を追い抜き、ブランコ公園まで下りると、そこに昨日の5人がいた。と、後ろからワゴン車が走ってきて、ハザードランプを点滅させて公園横に停車し、中から男の子が降りた。小学4年くらいだろうか。集合場所まで歩くと遅くなるので、車で送って来たといったふう。今どきのお母さんは大変だ。

学校正門には昨日と同じように、ベンチコートを着た校長先生が立っていた。坂を登ってくる私を見て、果たして昨日予測したとおり、「まだダメですか」と声をかけてくる。「はい、今日バイク屋に修理に出します」と私。

放課後、そのバイク屋に電話を入れる。運搬料が別途かかるけどいいかと言われるが、いいも何もエンジンがかからないのだからそうするしかない。で、日曜の午前に取りに来てもらうよう手配した。

ということで、土曜の練習試合は相手校まで歩くことになった。旧隣町だし家から歩いてもわけない。と思いながらGoogle マップで確認したら、距離にして4.7kmと出た。

ちなみに4.7kmを歩くにはどれくらいの時間がかかるかを不動産式に計算すると(80mを1分で歩くとすると)、4700/80=58.75分で約1時間弱となる。おっ、1時間を切る。だったら歩いてみてもいいか。

田舎暮らしは車がなけりゃ生活できないとはよく言われるところで、実際、一世帯が車を複数台所有することはこの辺では常識になっている。通勤路に建売住宅を販売している区域があるが、どの区画も最低2台分は駐車場を確保している。そうでもしないと売れないのだろう。

首都圏では1世帯に2台のマイカーなんて昔からの地の人でもない限り望むべくもないが、ここ伊豆では2台あるのが当たり前になっている。首都圏に比べて地価が格段に安いからそういうことができる。

都会に住むにしても田舎に住むにしても、どっちがいいかは一概に言えない。究極的には交通インフラの充実を求めるのか、豊かな自然に囲まれた環境を選ぶのかということになるのだろうが、その選択に良し悪しはない。あるのは、好みの問題である。どっちの暮らしをしたいか、ということである。

私は首都圏の便利さよりも自然豊かな伊豆を選んだ。でも、伊豆を終の住処とした選択は間違っていなかったと思う。伊豆は、田舎特有の余所者を排他する空気はなく、程よくサバサバした感じが、私にはとても心地いいのである。

 

【今日の一枚】大仁駅ホームの水飲み場。

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駅ホームにレトロな水飲み場がある。いずっぱこが修善寺駅まで延伸する前は大仁駅が終着駅だった。天城湯ヶ島へ行くにはここから馬車を使ったと井上靖の小説にある。その頃の賑わいをこの水飲み場を見て想像していたら、ラブライブのラッピング電車が上りホームに入ってきた。これに乗って隣の田京駅へ移動。

 

【書】「力」リョク・リキ・ちから・すき・つとめる(No.394)

▼甲骨文

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▼金文

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象形。すきの形。[説文]十三下に人の筋(肉の中のすじ)の形とするが、耒(すき)の形である。耒(らい)は力(力=すき)と又(ゆう)とを組み合わせた形で、力(すき)を手(又)に持つ形。加・嘉・劾・勧・協・勤・功・助・勢・静・努・動・勉・励・労の字に含まれる力はみな耒の形である。耒を使って田畑を耕すことは多くの労力を要することであったから、「ちから、はたらき、つとめる、はげむ」の意味に用いる。<『常用字解』より>

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】2月20日(木)5:57〜7:05の伊豆長岡の空。34秒。

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