いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春一番流るる川を波立たす(あ)

今日は午後から電子黒板を導入している中学校で研修。

国語、社会、数学、英語の、電子黒板を使った授業を見て回る。

この研修の話があったとき、私はてっきり従来の黒板が消えて、その代わりとして電子黒板が導入されるのだとばかり思っていた。

ところが、違った。何のことはない、従来のチョークを使った黒板はそのままで、担任の先生の机が置かれていた教室の隅に、それこそ移動黒板のようなキャスター付きの大画面モニターが設置されただけのことだった。なんだか、拍子抜け。

電子黒板の画面にはWindows10が映し出され、国語の授業ではパワーポイントを使った「熟語の構成」を展開していた。Bluetooth接続したキーボードをポンポン操作し、画面に次々と熟語、読み方、構成の分類を表示していく。

表示しながら、例えば「日没」は「にちぼつ」と読み「日が没する」という主語述語の関係だね、「黙読」は「もくどく」で「黙って読む」という修飾語被修飾語の関係だね、と説明していく。

班ごとに机を並べた子どもたちの様子はというと、それぞれの班にボードとマグネットのついた熟語カードが配られ、楽しそうに話しながら構成の分類をして、先生の説明に、答えがあっていたと嬉しがったり、間違っていたと残念がったり、賑やかに反応していた。

そこで、はたと気づいた。字を書かないのである。いや、字を書く時間がないのである。子どもたちはカードゲーム感覚で楽しく学習していたし、電子黒板を使った効果はそれなりにあったとは思う。しかし、である。電子黒板を導入したことによって、字を手で書くという基本的学習がおろそかになりはしないかと、逆にそっちの方を心配する。

確かに書く字の上手い下手はある。でも、拙くても手書きの字には、発達過程の子どもたちの勢いが感じられたり、その人となりが見えたり、温もりがあったりする。で、その温もりって、意外に大事なんじゃないかな。

効率よくスピーディーに様々な処理をこなしてくれる電子黒板の導入は時代の流れなのかもしれないけれど、一方で手書きの温もりも捨てがたいと改めて感じさせられる、そんな今日の研修会でした。

 

【今日の一枚】精肉店の看板。

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強風の中、研修先の中学校へバイクを走らせ、狩野川にかかる橋にさしかかったら、いきなり横風にあおられた。センターライン側に大きく膨らみ、走っていて怖かった。

「春一番」だそうである。春一番は立春から春分までの間に南から吹く強い風のことで、これが吹くといよいよ本格的な春の到来だなと思う。

研修を終えて家に着いたら、庭の梅の花がだいぶ散っていた。

湯屋の支度をして一二三荘に向かうあたりまで強い風はまだ残っていたが、バイクを走らせる旧街道は家が立ち並んでいるので横風を受けない。湯から上がって精肉店に寄るころには風もだいぶ弱まっていたが、店の前にはまだこんな看板が出ていた。

 

【書】「良」リョウ・よい・まこと(No.391)

▼甲骨文

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▼金文

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象形。長い嚢(ふくろ)の上下に流し口をつけて、穀物などを入れ、その量をはかる器の形。高鴻縉(こうこうしん)の[中国字例](1960年刊)に風箱留実(ふうそうりゅうじつ)という器の形で、穀物に風を送ってもみ殻を取り去り、実だけを残す道具とする。風箱留実は穀物の良否(よしあし)をより分けて、よいものを選び出す道具であるから、「よい、まこと」の意味となる。<『常用字解』より>

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】2月17日(月)5:51〜7:17の伊豆長岡の空。21秒。

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