今日の東京新聞コラム「筆洗」に、「何を書いていいのか思いつかない日がある。かと思えば、書きたいニュースや話題が複数あってどっちで書くべきかで悩む日もある」とあった。
私はどちらかといえば前者の方で、何を書くか皆目思いつかないことのほうがほとんどだ。後者はごくまれ。
新聞は毎日発行しなければいけない使命を負うから書かざるを得ないが、私の場合は至って気楽なもので、何を書くか決まらなければ書かなくてもよいという選択肢がある。無理して書いてもどうせろくなものは書けやしないんだし、だったら書かないほうがよかろう。
これまで、何度そう思ったかしれない。だけど、それでも毎日書き続けてきた。そうさせるものが私の心のどこかにあるのだろうが、それは私にもよく判らない。書くことが好きか、といえばそうでもない。では、なぜ毎日書くんだろう。
文章修行のつもりか。うん、それはある。しかしそれは毎日でなくてもいいはずだ。一日おきだっていい。なんなら一週間おきだっていい。
文章修行をして、ゆくゆくはそれで小遣い稼ぎをする気なのかい? いや、それはないから。そんな能力なんてこれっぽっちもないことは自分でもよく判っている。
私のブログは何を主張しているというのでもない。政治を語るのでもない。ただ、淡々と身の周りの日常を書き留めるに過ぎない。だから読者の中には、低カロリーの病人食を食っているような、味も素っ気も毒気もない印象をお持ちの方もおられるかもしれない。
でも中には、「読んでます」と言ってくれる人もいて、そういう声を聞くと本当に励まされる。そのままの自分が認められたようで嬉しくなる。
私のブログのどういうところに興味を持ったかは判らないけれど、よし、今日も書こうと前向きになれる。所詮、自己満足に過ぎないのだけれど、続けられるところまで書き続けられたらいいと思う。「継続は力なり」とは言うけれど、なるほど、まがりなりにも続けることで、生きる力をもらっているような気がする。
【今日の一枚】庭の白梅。
三分咲きくらいでしょうか。雨に促されるように蕾が一つまた一つとほころんでいきます。寒さに耐えながらこうしてぽつぽつ咲く、今の時期の梅が好きです。
【書】「容」ヨウ・すがた・かたち・いれる・ゆるす(No.372)
▼甲骨文
▼金文
会意。宀(べん)と谷(よう)とを組み合わせた形。宀は祖先を祭る廟(みたまや)の屋根の形。谷は渓谷(たに)の谷(こく)とは異なり、俗・浴・欲の字に含まれる谷(よう)である。谷は〓1(さい=神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)の上に神気の現れることをいう。廟の中に〓1を供えて祈り、その〓1の上にかすかに現れた神の姿を容といい、「すがた、かたち、ようす」の意味となる。(後略)<『常用字解』より>
〓1(手書き画像)↓
【温泉】雨につき内風呂。
【タイムラプス】1月28日(火)6:00〜7:12の韮山方面の雨空。35秒。
https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2801854826539043/?d=n