いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

落ちてなほうなじ艶めく寒椿(あ)

2年の担任の先生が更衣室でスーツに着替えていた。三者面談の身支度である。「今日は、何人ですか?」と訊いたら「9人です」と言う。一人20分として180分(3時間)か。いやあ、この時期の担任は大変だ。

担任の先生方が面談をしている間、私は何をしているかといえば、締め切りが明後日(12/20)に迫った地元中学校の文集原稿の選考をしているのである。

なかなかの傑作が揃った。詩、短歌、俳句は14歳の感性を素直に詠んだ作品が多く、私も刺激を受けた。若いって、いいなあ。

私も毎日、ブログのタイトルにと俳句(もどき)を作っているが、ピタリ決まったものが一つもない。感性が干からびてしまっているようで、パサパサしていて潤いがない。年を取ればそれなりに円熟味が増すかと思いきや、その逆である。どんどん先細って、我ながら情けなくなる。

私が一つの目標としている俳句は、坪内稔典の「三月の甘納豆のうふふふふ」で、そのふんだんな遊び心がたまらない。この句を知って以来、常にこの句を目標に俳句を作ろうと思っているが、まるで足元にも及ばない駄句ばかり。遊び心がまだまだ足りないということなんだろうな。感性豊かで心に余裕がなければこういう句は作れない。誰でも簡単に作れそうだけど、なかなかどうして作れないのである。

実は坪内稔典の「甘納豆」シリーズは、1月から12月まである。

一月の甘納豆はやせてます
二月には甘納豆と坂下る
三月の甘納豆のうふふふふ
四月には死んだまねする甘納豆
五月来て困ってしまう甘納豆
甘納豆六月ごろにはごろついて
腰を病む甘納豆も七月も
八月の嘘を楽しむ甘納豆
ほろほろと生きる九月の甘納豆
十月の男女はみんな甘納豆
河馬を呼ぶ十一月の甘納豆
十二月どうするどうする甘納豆

と並べてみると、やはり三月の甘納豆が突出している。

「鳩ぽぽと来てぽぽと去る春隣」。これは私がまだ茅ヶ崎の句会に出席していた頃に作った句だが、あの頃はまだ「三月の甘納豆」の軽みの味を知らなかった。今思えば、あの時すでに「三月の甘納豆」に通じる雰囲気を感じ取れていたのかもしれない。なんてね。

 

【今日の一枚】庭の寒椿。

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浴室の窓の目隠しとして前のオーナーが植えたのだろう。今ではその丈が屋根の庇を超えている。この花は木の上の方にあり、爪先立って撮った。木の下にはピンクの花がうつ伏せになっていくつか落ちていた。

椿は、首を斬られたように花全体がまとまってポトンと落ちる。花の形が似る山茶花とはそこが違う。山茶花は花びら一枚一枚が剥がれるように散る。庭にはこの椿の隣に山茶花があるが、うちの山茶花は早々に散ってしまった。周辺の山茶花は今を盛りと咲いているのにねえ。

 

【書】「放」ホウ・はなす・はなつ・はなれる・ほしいまま(No.332)

▼甲骨文は無し。

▼金文

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会意。方と攴(ぼく=攵)とを組みわせた形。方は横に渡した木に死者をつるした形で、邪悪な霊を祓(はら)うためのまじないとして境界のところにおいた。攴はうつの意味であるから、方を殴(う)つ形が放で、邪霊を追放する(追いはらう)儀礼をいう。それで、「はなつ、しりぞける、つきはなす、はなす」の意味となる。(後略)<『常用字解』より>

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】12月18日(水)5:44〜7:20の伊豆長岡の空。23秒。

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