朝夕めっきり冷え込んできた。カブに乗るのにもそろそろグローブが必要だろう。
今通勤に着ているウィンドブレーカーもバイク用のグローブも、実はすべて教え子がプレゼントしてくれたものだ。教え子とはありがたいもので、いつもこうやって気遣ってくれる。そして幾つになっても教え子と恩師の関係であり続ける。私から恩師というのもおこがましいが、どんなぐうたらな教師でも、教え子からすれば恩師は恩師であるのだろう。
先日、横浜で高校の同窓会があって出席した。35年ぶりにあった元教え子たちは異口同音に、「先生、変わらないねえ」と言う。髪も白くなり、身体もあちこちガタがきて、自分ではずいぶん年老いたと思っていても、教え子たちの目には「昔とちっとも変わらない」と映るようだ。
きっと教え子たちの脳裏には、かつてのイメージがそのままの形で残っているのだろう。目の前に年老いた恩師がいても、それがたちどころにかつてのイメージに置き換わるらしい。どうも、思い出というのはそういうもののようだ。だから、思い出はいつまでも年を取らない。
私は今、伊豆で中学校の臨任講師をしている。今の子たちと、あの時はあんなことがあったこんなこともあったと後々語り合えるようになったらどんなにいいだろう。そんなことを思いながら日々を過ごしている。
【今日の一枚】職場から見た夕焼け。
単に「夕焼け」といえば夏の季語であるが、他に、「春夕焼け」「秋夕焼け」「冬夕焼け」ともあり、それぞれ季節の趣を異にする。ちなみに、手元の『合本俳句歳時記第四版』(デジタル版)の「冬夕焼け」には、「裸木を染め、西空を燃え立たせて、たちまち薄れてしまう」とある。
写真は、技術室外の物置スペースから見た夕焼け。そこにいつもカブを置かせてもらっている。去年まではテニスコート脇に雨ざらしになっていたが、今年はもう一人バイク通勤の人がいて、その先生が校長先生に交渉したかどうか、雨の当たらないところに駐める許可を得て、ちゃっかり私もその隣に置かせてもらっている。
校庭の周りにはぐるり桜が植わってあって、隠れた桜の名所になっている。
桜の木はまだ裸木にはなっていないが、いずれ葉がすっかり落ちれば、歳時記のいう「裸木を染め、西空を燃え立たせ」る冬夕焼けが見られるようになるだろう。
写真いちばん奥の山並みは天城連山。太平洋を背に、富士山に向かって流れる狩野川の水源である。
【書】「反」ハン・ホン・タン・ヘン・そる・そらす・そむく・かえす・かえる(No.291)
▼甲骨文
▼金文
厂(かん)と又(ゆう)とを組み合わせた形。厂は崖(がけ)の形。又は手の形。反は急な崖に手(又)をかけて攀(よ)じ登ろうとする形で、崖が急であるため、身体がひっくり返ることをいう。金文にみえる反はすべて叛逆(はんぎゃく=そむきさからうこと)の意味に用いられており、反はおそらく聖所を犯そうとして攀援(はんえん)する(よじ登る)ことを試みている行為で、そのような行為は叛逆とみなされた。それで反は「そむく、かえる、かえす」の意味に用いる。<『常用字解』より>
【温泉】一二三荘。
【タイムラプス】11月6日(水)5:21〜7:18の伊豆長岡の空。29秒。
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