いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

水仙の葉はしやつきりと老いを待つ(あ)

今日の日経新聞コラム「春秋」(デジタル版)に吉幾三のラップミュージック「TSUGARU」が紹介されていた。吉幾三の「TSUGARU」が話題だというのは先月にも書いたが、今や250万回も再生されているというから驚く。

吉幾三の出身は北津軽郡金木町(現・五所川原市)。津軽弁の本場である。♫おら、こんな村やだ〜♫と言って東京に出た吉幾三は、巡り巡って今度は村に残された高齢者の立場から、その心情を歌う。♫おめだのじこばば どしてらば♫

吉幾三は年齢が私の一つ上だが、若い頃に都会に憧れた思いは通じるものがある。高校を卒業したら何をしようと考えたとき、ともかく東京へ行くことしか頭になかった。都会の暮らしとはどんなものか、直に経験してみたかった。

両親はどうしろこうしろと一言も言わず、ただ黙って仕送りをしてくれた。当時の仕送りは月3万円で、その半分は家賃に消え、残り半分で日々の生活をやりくりしていた。それ以上出せない家計事情は判っていたので、私も無心することはできなかった。

大学ではサッカー部に入り、部の合宿費用や練習着などはアルバイトで稼いだ。部屋にテレビはもちろん冷蔵庫もなかったから、スーパーで安売りの1リットルの牛乳を買ってきても、夏場などは一気に飲み干さねばならなかった。食事は即席ラーメンが定番で、朝は食わず、昼は学食の立ち食いそばで済ませた。

そういう食生活を見かねてか、埼玉のサッカー名門校出身の部員が自宅に呼んで飯を食わせてくれたりもした。仕送りが一円玉しか残っていないのは常で、今思えば、よくあんな生活できたよなという生活をしていた。

その癖が今も直らない。私は、金がない生活には昔から慣れっこなのだが、カミさんは慣れていない。だからいつもガミガミいう。それにも私は慣れてしまったので、ガミガミが通り過ぎるまで放っておくことにして今まで過ごしてきた。

この歳になってもまだ借金を抱える身だが、まあ、なんとかなるべえと未だに能天気に構えているから、カミさんのイライラはいつまで経っても晴れないのである。

 

【今日の一枚】庭の水仙。

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山茶花に次いで水仙も球根から芽を伸ばした。すっかり初冬の気配である。

手入れの行き届いた庭もいいが、見苦しくない程度に無造作な庭も野趣があっていいものだ。まあ、手入れをしないで放っておくだけのことなんですけどね。

 

【書】「年」ネン・とし・みのる(No.282)

▼甲骨文

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▼金文

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禾(か)と人とを組み合わせた形。禾は禾(いね)の形をした被(かぶ)りもので、稲魂(いなだま=稲に宿る神霊)の象徴であろう。田植のとき、豊かな稔(みの)りを願って田の舞をする男の形を年といい、「みのり」の意味となり、禾は一年に一度稔るので「とし」の意味となる。(中略)禾を頭に被って低い姿勢でしなやかに舞う女の姿は委で、豊年を祈って男女二人が舞い祈った。<『常用字解』より>

甲骨文は、肩車されたやんちゃな坊やがハッチャケているように見え、金文は、後ろ髪を捕まえられながらも振りほどいて逃げようとする女に見える。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】10月28日(月)5:19〜7:32の伊豆長岡の空。33秒

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