いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

かさぶたも曲がりも愛し秋茄子(あ)

今日の練習試合で、懐かしい顔と再会した。

3年前、学童で世話をした子たちである。当時は小学4年だった彼らも今や立派な中学生(中学1年)。こんな形で再び顔をあわせるとは思いもしなかった。

卓球は、ユニホームの背に名前を書いたゼッケンを着けるが、その名前を見るまでもなく、顔を見ただけで下の名前がたちどころに蘇った。

それが、1人2人ではない。6人もいる。学童の頃は、男の子は確か9人いたはずで、そのうちの6人もが同じ中学の卓球部に入部していた。学童に通っていた子がごそっとひと塊に入部したといった感じです。

私は、その子たちに、最初の集合整列のときから気づいていたが、その子たちは、壁際に立っている白髪の老人が私だとは気づいていないふうだった。私から声をかければ気づくはずだとは思ったが、試合ということでもあり、余計な気遣いをさせてはいけないと声かけを控えていた。

そうしたら、学童のときにいちばん手を焼かせた子が私に声をかけてきた。次の対戦が始まる休憩時間のときである。「あのう、学童の先生ですよね」。そうか、気づいてくれてたんだ。

「そうだよ。△△君だね? 他にも学童のときの子たちが来てるね。みんな大きくなったなあ」。話をしたのはその子だけだったけど、試合が終わってそれぞれのチームが他校の先生に挨拶をして解散したあと、学童の子たちが私のところへどどっと寄ってきて挨拶をくれた。まさかの展開に気の利いた一言が出て来ず、頑張ってくださいとしか言えなかった。

 

【今日の一枚】鉢植えの秋茄子。

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夏に数個晩酌のつまみになった鉢植えのナスだが、最後の1個を採り終えてからそのままにしてあった。台風15号のときにも風除けの場所に移動させずに庭に放置しておいた。そうしたら今日、新たに実がぶら下がっているのに気づいた。秋茄子である。水をやらなくてごめんごめん。たんまり水をやるから、夏のようにまた旨い焼きナスを食わしてくれよ。

 

【書】「即」ソク・つく・すなわち(No.242)

▼甲骨文

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▼金文

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もとの字は卽に作り、皀(きゅう)と卩(せつ)とを組み合わせた形。皀は𣪘(き=食器)のもとの字。卩は跪(ひざまず)く人を横から見た形。即は食膳(しょくぜん)の前に人が跪く形で、食事の席に即(つ)く意味となる。席だけでなく、位につくことを即位といい、すべて「つく」の意味に用いる。席につくことを即席と言い、その場の意味となり、その場にのぞんですぐことをすること、「すぐさま、ただちに」の意味になるので、即は「ただちに」の意味となる。(後略)<『常用字解』より>

甲骨文は、字解の「食膳の前に人が跪く形」そのまんまで、痩せの大食いのイメージ。金文は、タニシ(ソフトクリームにも見える)を狙うアオサギをイメージした。

 

【温泉】水晶苑。

大きな栗畑氏と4子局で●●の2連敗。あっという間に5子局に陥落して○○●の2勝1敗。4子局への復帰ならず。殺されまいとして殺されるのは、自分の弱みを放ったらかしにして相手を攻撃するから。ひがみやっかみが打ち方を狂わせる。これがまた生の対局の面白みでもあるのだが、負けるとやっぱり悔しい。

 

【タイムラプス】9月14日(土)5:24〜7:13の伊豆長岡の空。27秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2512512762139919?sfns=mo