いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

裏垣根我が物顔の秋の蔓(あ)

今日は体育の部の総合練習(開会式から閉会式までの全体の流れを確認する)があった。

1校時と5校時が授業で、2〜4校時に総合練習が入り、6校時に総合練習の時間内に確認しきれなかった種目の流れを確認するという変則日課。

そんな中で私は5校時に授業が入っていた。子どもたちの気分はすっかり体育の部モードになっているから、やりづらいことこの上ない。それでも授業を進めなければいけないところが中学の辛さか。体育の部が終われば、中間テストを挟んで合唱コンクールがある。合唱コンクールが終われば、次は鎌倉校外学習だ。本当に中学というところは、行事の合間に授業をするような印象で、気持ちの切り替えをうまくコントロールしないとやり切れない。担任でない私はそれでも多少の個別時間は確保できるが、担任ともなればずっとつきっきりでクラスと向き合うわけで、その心労たるや察するに余りある。

「娘は、お父さんの顔を忘れてしまっているかもしれない」。ある担任がぽそっと漏らしていた言葉が心に突き刺さる。休日も部活動に追われ、家族サービスもままならない過労死ギリギリの日々を中学校の先生は送っているのである。

私が、必死に睡魔と闘いながら漢字小テストの採点をしていると、通りかかった先生が私の様子を見て声をかけた。「前のお仕事と今のお仕事ではどちらがきついですか?」。私は即座に答える。「もちろん、今の仕事の方です」。

今日で新しいステージの2週間目が終わるが(いや、明日も練習試合があるから出勤するが)、疲れがちっとも抜けない。でも、ここでへたばるわけにはいかない。担任のご苦労を思うと私の疲れなんて屁でもない。頑張ろう。3月まで頑張るぞ。

 

【今日の一枚】柿の葉に絡まったセンニンソウ(仙人草)。

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写真を撮ったときはボタンヅル(牡丹蔓)だとばかり思っていたが、よく見たら葉の形が違う。ボタンヅルの葉は切れ込みがあり鋸歯状になっているが、センニンソウのは全縁(鋸歯状の切れ込みを持たない)でつるんとしている。

ボタンヅルかセンニンソウかなんて、どっちでもいいじゃないかと以前は思っていたが、身近な草花の写真をブログにアップするようになってから、花のいろいろを調べてみようと思うようになった。「名も無い野の花」じゃ、その花に申し訳ないものね。これもブログの効用か。

それにしても、こういった植物が我が物顔に生え伸びるということは、庭の手入れに、それこそ手が回っていない証拠。ああ、こんな状態では今年も柿の実は期待できないかな。

 

【書】「葬」ソウ・ほうむる(No.241)

▼甲骨文

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▼金文

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〓1(ぼう)と死とを組み合わせた形。〓1は草むら。死は死者の胸から上の残骨を拝み弔う形。古くは死体を一時的に草むらに棄て、風化して残骨となったとき、その骨を拾って「ほうむる」ことを葬という。このような埋葬形式を複葬という。本葬以前に遺体を板奥(ばんおく=板で囲って建てた家)におさめて、その風化するのを待つ礼を殯(ひん=かりもがり)という。

〓1(『超漢字』画像)↓

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書きながら、河瀬直美監督「殯(もがり)の森」を思い出していた。甲骨文も金文も、運筆のスピードを緩めて書いた。死体が風化していく様子は甲骨文の方により現れているか。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】9月13日(金)5:11〜7:18の伊豆長岡の空。31秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2510605685663960?sfns=mo