いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

合歓の花ひと刷けくれて遅咲けり(あ)

津軽の地方紙「陸奥新報」のコラム「冬夏言」で津軽弁のことに触れていた。

「『サントグ持った?』『ケリね!』昔は当たり前に使っていた津軽弁も、最近では全く使わなくなった。津軽弁の薄れは子ども世代以外でも気付かぬうちに徐々にしかし確実に広がっている」とある。

私は青森に生まれ高校を卒業するまで青森で暮らした。が、ケリは靴のことだと知っていても、サントグのことは知らなかった。サントグとは財布のことだと「津軽弁辞典」<http://www9.plala.or.jp/imakara/jiten.sa>で初めて知った。

コラムでは、「あと50年もすれば青森も標準語になり、津軽弁は古代語として扱われるのではとさえ思う」と憂えるが、言葉は生き物であってみれば、それも時代の趨勢で致し方ないことだろう。今の子どもたちに、津軽弁を絶やさないよう説いても無理な相談である。寂しいけれど、「こればれどもなね」(こればかりはどうにもならない)のである。

私は津軽弁の独特の語彙とイントネーションに慣れ親しんできた身だし、言語形成期に津軽弁に触れられたことを幸せに思う。そこでしか通用しない言葉を当たり前に使えるってすごいことだと我ながら思う。

高校の教員をしていたとき、卒業アルバムに寄せ書きを頼まれたことがあって、そこに私は好んで、「おじょまねで、わっつどけぱねばまいねど」(しり込みしないで、思い切って頑張らなくちゃいけないよ)と毛筆ペンの走り書きで書いた。卒業していく子へ送るエールのつもりだった。

教え子たちは、卒業してからアルバムを開くことなんてしないのかもしれないが、その開かれないままの卒業アルバムに私の直筆の津軽弁が眠っていることを思うと、えもいわれぬ懐かしさが甘酸っぱく込み上げてくるようである。

 

【今日の一枚】ネムノキ(合歓の木)。

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ネムノキは、通勤路途中の坂の、数本並んだ桜に混ざって一本だけ植わってある。花の盛りはすでに終わって今はさや豆の実が枝にぶら下がっているが、このところの30℃を超す連日の猛暑に、遅ればせながら咲く花もある。

 

【書】「相」ソウ・ショウ・あい・みる・たすける・かたち(No.238)

▼甲骨文

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▼金文

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木と目とを組み合わせた形。相は木を目で「みる」の意味である。盛んにおい茂った木の姿を見ることは、樹木の盛んな生命力をそれを見る者に与え、見る者の生命力を助けて盛んにすることになるので、「たすける」意味となる。たすけるというのは、樹木の生命力と人の生命力との間に関係が生まれることであるから、「たがいにする、たがいに、あい」の意味となる。見ることは人の生命力を盛んにするという魂振(たまふ)りの力があると考えられたのである。(中略)わが国の[万葉集]にも、「見れど飽(あ)かぬ」「見れど飽かぬかも」「〜見ゆ」という形式の歌が多いが、みな同じ魂振りの観念である。そのような思いで想(おも)うことを想という。<『常用字解』より>

甲骨文は、ハシビロコウのイメージで書いた。これ、私のトレードマークでいただこうかな。金文は、木の枝にぶら下がったミノムシでしょうか。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】9月10日(火)5:08〜7:22の伊豆長岡の空。33秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2505007892890406?sfns=mo