いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

土手草のそよぎそよいで秋の雲(あ)

今日は2学期の始業式。

なのだが、実は先週の金曜(8/23)に、思いもよらぬ話が舞い込んだ。

校長先生から電話があり、今勤めている中学校の臨時的任用教員(臨任)をやってくれないか、というのである。

いやいや、その前に県教委から突然、高校の書道の非常勤講師を引き受けてくれないか、という電話をもらったのがそもそもの発端。ある高校の書道の先生が夏に体調を崩し、2学期の授業を続けられなくなったという。

7年も前に登録した名簿がまだ生きていることに驚いた。県教委の人はその名簿を見て私に連絡をくれたのだった。

お話を伺い、私がお手伝いできることでしたらと電話を切ったら、じきに当該の校長先生から電話がかかってきた。その高校は私がかつて国語の非常勤講師をしたことのある高校だった。週20時間お願いしたいという。

私は今これこれの仕事をしていて、新たにそちらへ勤務することが可能かどうか、勤めている中学校の校長先生に相談してみます、といって電話を一旦切り、かわって中学校に電話した。すると、なんと、中学校でも国語の臨任を探しているところだった、というではないか。えっ、まじ?

勤務形態の調整が可能かどうか中学校に問い合わせたら、逆に臨任を頼まれてしまった。

高校の書道を取るか中学校の国語を取るか。どっちを取るか迷ったが、結局、中学校の臨任を取ることにした。教えたことのない中学校で教えるのも面白そうだと思ったのが最終的な決め手になった。

そう決めたのには、去年までの音楽の先生の影響が少なからずあったと思う。4月の段階でとても歌声になりそうにもなかった地声を、10月の合唱コンクールで競えるまでに育て上げていく過程を間近に見てきて、そのパワフルな導きに圧倒されたものだ。合唱コンクールでの最後の全校合唱には鳥肌が立ったもの。中学校の教育はこれだ、というエネルギーがそこにはあった。

というわけで、思わぬ展開になってきました。9月からは、草刈りおじいさんから、国語のおじいさんになります。

人生、ここまで生きてると、いろんなことがありますねえ。

 

【今日の一枚】伊豆長岡駅へ分岐する狩野川の土手。

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真っ直ぐ続く土手道の右を並行して走るのが下田街道で、左が狩野川。歩いて駅に向かうには土手道を右にそれるのだが、その分岐点が、これが駅へ向かう道? と戸惑うくらいに夏草が茫々と生い茂っている。手入れする人がいないんだろうな。

今日は、カミさんが小田原で孫を拾って伊豆へ来ることになっていた。ところが、昼にカミさんから電話が入り、車のキーを入れた黒いバッグが見つからないで探している、朝から留守番をして迎えの到着を今か今かと待っている子どもたち(孫たち)がかわいそうだから電車で迎えに行ってやってくれないか、と言ってきた。

バッグの色なんか知るかそんなの、車のキーくらいちゃんと持っとけよボケと、腹立ちまぎれに、この土手道を下りて孫の待つ小田原へ向かったのでした。

 

【書】「石」セキ・シャク・コク・いし(No.225)

▼甲骨文

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▼金文

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厂(かん)と石とを組み合わせた形。厂は山の崖(がけ)の形。口は〓1(さい)で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。(中略)大きな岩石の類は神霊の宿るところとして祭祀(さいし=祭り)の対象とされることが多かったから、石とは祝詞を入れた器を供えて祭られる大きな「いし、いわ」をいう。のちすべて「いし」の意味に用いる。(後略)<『常用字解』より>

〓1(手書き画像)↓

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こういう画数の少ない字のバランスを取るのが難しい。榊莫山先生が「土」の字を何度も何度も書いていたドキュメンタリー映像を思い出す。

甲骨文は、覆いかぶさるようにそそり立つ険しさを、金文は、万年の風雨に耐えたまろやかさをイメージして書いた。

 

【タイムラプス】8月26日(月)5:12〜7:13の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2477066492351213?sfns=mo