いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

グランドの照明灯も梅雨晴れ間(あ)

【今日の一枚】図書室のテーブルに置いた私のiPad Pro。

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今日の午前に保存した「たてコラム」の記事を、iCloudのフォルダに移しているところ。

今日は久々に青空が見えました。そういえば、今朝、雨の中でヒグラシが鳴いていたよ。今年初のヒグラシです。もうそんな時期なんだね。なのに、まだ梅雨が明けない。

 

【書】「酒」シュ・さけ・さか(No.188)

▼甲骨文

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▼金文

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音符は酉(ゆう)。酉は酒樽の形で、酒のもとの字である。「さけ」をいう。酉の上に八を加えた酋(しゅう=ふるざけ)は、酒樽より酒気の発することを示す。酋(酒樽)を両手で捧(ささ)げて神前に置く形は尊である。木製のたるを樽(そん)という。(中略)殷王朝では祭祀(祭り)に多く酒を使い、そのため酒のせいで王朝が滅んだとされる。<『常用字解』より>

ようやく出番が来ました。本命の漢字。

昔から「酒は百薬の長」というが、度を越すと王朝が滅ぶくらいの百毒にもなる。『徒然草』にも、「この世にあやまち多く、宝を失ひ、病を設(まう)く。百薬の頂[ママ]とはいへど、よろづの病は酒よりこそ起これ」(第175段)(この世は酒によるあやまちが多く、財産を失い、病気になる。百薬の長とは言うが、すべての病気は酒によって起こる)とある。

これまで酒で何度失敗したことか。数え上げたらきりがない。

平塚アパート時代、勤め先は横浜だったが、同僚と横浜で呑んだ帰りに平塚駅で降り忘れたこと数知れず。呑んだ夜はまともに平塚で下車したことがないんじゃないかというくらい乗り越した。東海道線はひと駅の区間が私鉄に比べてはるかに長い。私鉄なら、いけね乗り越しちまったと一駅二駅歩いて戻れるが、東海道線はそうはいかない。それに上り最終電車の時刻が早い。ちなみに小田原駅上り最終電車は11:10発だ。

平塚で降り忘れると、カミさんに電話して迎えに来てもらうことになるのだが、夜中に叩き起こされるカミさんにしてみればたまったものではない。大磯、二宮、国府津、鴨宮、小田原と、迎えに来てもらう駅は一定しなかったが、「またぁ〜」という怒りの響きはいつも同じだった。

一度、小田原まで乗り越した夜、東海道線上り最終の11:10に間に合わなくても、小田急線に乗り換えれば0:03発の町田行きに乗れることが判った。それに乗って伊勢原駅で降り、そこからタクシーで帰れば小田原からタクシーで帰るより安く上がる。そう思って、小田急線に乗ったのだったが、これまた伊勢原駅で降り忘れてしまうという二重チョンボ。我ながら、何やってんだかなあ、である。

小田原以西は沼津まですべて制覇した。早川、根府川、真鶴、湯河原、熱海、函南、三島、沼津……。制覇したなんて偉そうに言っても、情けないことには変わりない。

ある年度の学年通信の新担任紹介で趣味を問われ、自虐をこめて「東海道線夜の旅」と答えたのはそういうことだった。

世話になった回数で多い駅は熱海で、3回。いちばん悲惨だったのは、函南。2月の冷たい雨の夜でした。どっちを向いても山、山、山の駅ホームで、駅員さんに「この近くに、ひと晩暖かくして雨をしのげるところはないでしょうか」と尋ねたら、「ないね。三島・沼津ならあるけど」と冷たく言われ、電気を消された。

電気が消えて、いきなり漆黒の闇に取り残される。改めて周りを見たが、いくら見ても本当に何もない駅で(失礼)、せめて駅舎の中に入れてくれてもよかろうものをと恨んだが、恨むのはお門違い。そこでひたすら雨の降る駅ホームで、体を冷やさないように跨線人道橋の階段を上り下りしながら、ひたすら始発を待った。

そんな昔の失態の数々を思い懐かしんでいたら、あれよ、甲骨文の酒の滴が涙に見えてきた。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】7月17日(水)5:12〜7:37の韮山方面の雨空。36秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2407622405962289?s=100001436582002&sfns=mo