いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

紫陽花の児の秘密基地脅かす(あ)

【今日の一枚】雨にこうべを垂れるアジサイ(紫陽花)。

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降り続く雨で重い頭が徐々に垂れてきて、地面にひっつきそうになりながらグッとこらえている。去年の剪定のときに丈を思い切り短くしておけばよかった。今年は花が終わったら、そうします。

【書】「高」こう・たかい・たか・たかまる・たかめる・すぐれる(No.151)

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京(けい)の省略形と口とを組み合わせた形。口は〓1(さい)で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。京はアーチ形の出入口のある都の城門の形。門の上に望楼(ものみやぐら)のある大きな城門である。その城門に祝詞を供えて、悪霊などが入りこまぬようにお祓(はら)いすることを高という。望楼のある大きな城門であるから、高は「たかい、おおきい、すぐれる」の意味となる。高低(物の高いことと、低いこと)の高の意味から、場所や地位などが高いの意味となり、精神的に高尚(志が高いこと。気高く清らかなこと)の意味となる。<『常用字解』より>

〓1(手書き画像)↓

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『古代文字字典』にある字形のほとんどが、いわゆる髙(はしごだか)で、高の例は見えない。亠と口の組み合わせはわずかに[説文解字]の「小篆」にあるのみ。書きやすさで言えば、髙の方がはるかに書きやすい。なぜ梯子を取ってしまったのだろう。

 

【絵日記】吉田戦車(No.86)

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10日ぶりの絵日記です。

絵日記の項を立てた当初は、身近な小物類を「Concepts」で描き、それに手書きのコメントを添えていくつもりでいたが、いつの頃からか人物画に偏ってしまった。でも、それはそれでいいと思っている。

描くのは大抵が亡くなった方だったり、その時の話題の人だったりするけれど、皆さんご存知の著名な人ばかりなので、絵手紙のように手軽に描くというわけにはいかない。見る人がその人だと判るように描かなくてはいけないから、絵を描くのが好きだから描く、というだけでは済まない難しさがある。でも、それが自分にとってとてもいい勉強になっている。上手く描けた、上手く描けてないというのが自分で判るから。

絵の手ほどきをしてくれる人が身近にいればいいけれど、残念ながらそういう人はいない。だから、必然的に独学に頼るしかない。でも、絵の技術向上は基本的に独学だという思いもあって、上手くなるには描いて描いて描きまくるしかないと思っている。

今回描いた絵もたかだか86枚目。これが500枚、1000枚と描き重ねていったときに、描く絵が果たしてどのような絵になっているのかは、私にも想像つかない。いやその前に、たぶん命がそこまで持たないだろうけれど。

描く絵が、油絵でもなく、水彩画でもなく、水墨画でもなく、パステル画でもクレヨン画でも鉛筆画でもなく、タブレット画(そんな言い方があるとして)を選んだのは、それがいちばん手近だったから。単にそれだけのことです。タブレット画は絵の具もカンバスも要らない。タブレットとPencilさえあればパパッと描け、何度でも描き直せるのが魅力。

ただ、そういう表現方法から生まれた作品は、他のどれよりも価値が低いと見なされているのが現状だ。私の描くタブレット画はあくまで趣味で、それで飯を食っていこうという気はさらさらない。が、若い人たちの中にはそれ一本で生計を立てたいと夢見ている人もいるかもしれない。

タブレット画が新しい絵の表現方法として、その価値が世に広く認められるようになれば、生業としての一つの選択肢になり得る可能性はあろう。でも、たぶんそうはならないだろうな。漫画家とかイラストレーターとかを目指すのなら成り立つかもしれないけど。

 

【タイムラプス】6月10日(月)5:45〜8:16の伊豆長岡の空。37秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2343380149053182?s=100001436582002&sfns=mo