いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

夏薊伊豆の峰峰雲立てて(あ)

前庭の下草をすっきりむしり取ってから、庭いじりをするのがこのところの午前日課になっている。

不思議なもので、ぼうぼうに草が生えていたときは庭いじりをする気などちっともなかったのに、すっきりさせたら、せっかくすっきりさせたんだからその状態を保ちたいと思うようになった。庭いじりが好きな人ってそういうところがあるんじゃないかな。その気持ちがちょっぴり判ったような気がします。

プランターで夏野菜を育てていることもあると思う。ミニトマトの芽欠きをしなくちゃ、鉢植えのナスは水を欲しがっていないだろうかと様子を見に庭へ出ると、この前草むしりをしたばかりのところにもう新しい草が生えている。雑草ってえ奴はほんとに取ったそばから生えてくるなあこんちくしょうと思って引っこ抜く。

そんなふうにして柔らかい初夏の日差しを浴びながら、小一時間ほど庭を行ったり来たりしゃがんだりしている。草むしりをしなくちゃと思うと鎌だ手袋だゴミ袋だとなるが、そこまでしなくても目立つ草をひょいと摘み取ってトマトの芽欠きと一緒に捨てる程度だから負担にならない。

去年ミニ菜園を潰した跡に張った芝生も、まだ部分的にまばらなところもあるが、だいぶ青さが広がってきた。がっしり根づけばゴルフのパター練習ができるくらいの立派なグリーンになるんだが、そうなるまでにはもうしばらく時間がかかりそうだな。

思えばアパートやマンション暮らしをしている頃から、いつかは庭のある家に住みたいと思っていた。そして今、その思いが伊豆で実現している。大して広い庭ではないけれど、それなりに庭木もいろんなのがあり、四季折々の花を楽しませてくれる。梅に始まり、椿、八重桜、ツツジ、ムクゲ、サルスベリ、夾竹桃、山茶花と、咲く花は途切れることがない。これらのほとんどは前のオーナーが手入れしていたもので、四季の彩りをちゃんと計算して植えている。私が植えたものといえばプラム、ヤマボウシ、グミ、アケビ、姫リンゴくらいなもので、花を愛でるというよりも果実を収穫するという実用向きのものばかり。

でも、そんな庭木に囲まれていると、自然と一緒に暮らしていることを肌で感じることができて、心豊かな気分になれる。自然と一緒とはちと大仰な気もするが、気分はそんなところだ。

ちょっとした四季の移ろいを庭木や草花に発見したりするのは楽しい。四季の移ろいは毎年同じようでいて毎年違う。それは、年齢がまた一つ増え、それによって見方が違ってくるから。来年はまたどんな違いを見せてくれるだろう、いや、どんな違いを私が自然に感じるだろうと思ってみると、年をとることが少し楽しくなる。

 

【今日の一枚】ノアザミ(野薊)。

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通学路の斜面に咲くノアザミ。赤紫の花が新緑に映える。この上がグランド。

ここも中学校の敷地だが、まさかここにも草刈機を入れてくれなんて言わないでしょうね。一人じゃとても刈りきれないよ。

 

【書】「古」コ・ふるい・ふるす・いにしえ(No.133)

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十と口とを組み合わせた形。十は干(かん=長方形の盾の形)を省略した形。口は■(さい=画像参照)で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。この器の上に聖器としての干(たて)を置いて■を守り、祈りの効果を長い間保たせることを古といい、「ふるくからのもの、ふるい、むかし、いにしえ」の意味となる。古に囗(い=かこい)を加え、祈りの効果を守りかためるのが固(かたい)である。古に打つという意味の攴(ぼく=攵)を加えるのは、祈りの効果をことさらに(わざと)害することであるから故(ことさら)という。<『常用字解』より>

■(手書き文字)↓

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どこか漫画のキャラクターに似ているが、何の漫画だったか思い浮かばない。これも左右相称のシンメトリーの形だが、■のパーツを少しひん曲げて変化をつけた。どうですか、なんかしゃべっているように見えるでしょ?

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】5月23日(木)6:02〜8:06の伊豆長岡の空。30秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2310948795629651?s=100001436582002&sfns=mo