いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

甘夏の花どつしりと風を受く(あ)

今日は午前日課だったので仕事を休んで午後から大場の病院に行った。

通院の記録を見たら前回が4月10日になっていたから、そうか、一ヶ月以上行ってなかったんだ。そんなに間が空いたのは今回が初めて。これまでは月末には必ず通院していた。

今回月末でなかったのは薬のせい。3月に薬が新しくなって、それまでより少し強いのに変わった。それで2週間ばかり様子を見てみましょうとのことだったが、3月末に「いずぃなり会」のメンバーで餅搗きをしたときに低血糖の症状が出て、少し横になって休んだ。

薬が効きすぎたのである。そのことを告げに病院に行ったのが4月10日で、行ったら、これから連休に入るからと少し多めに薬をくれた。それで、まだ薬があるからと思って病院へ行かないでいたら、あれよ気づいたら一ヶ月が過ぎていた、というわけです。

今日の検診結果は芳しくなかった。病院へ行くからと昼食をご飯、納豆、ちりめんじゃこ、サンチュ、小かぶ浅漬けとカロリーを抑えたつもりが、ちっとも抑えられておらず、食後2時間過ぎても血糖値は200をだいぶ超えていた。HbA1cも0.3%上がっていた。こいつはやばい。

そこで主治医の先生と相談し、朝と夕とに飲んでいた、肝臓で糖が新しく作られるのを抑えるという薬を昼も飲むことにした。これで検査数値が落ち着かなければ、またしても3月に処方された強い薬に逆戻りすることになる。それでもうまく行かなければ注射を持ち歩く事態に陥る。それだけはなんとか避けたい。

そのために気をつけなければいけないのは食事療法であることは百も承知しているのだが、晩酌だけはね、どうしてもやめられないのですよ。

だいたい、これまでも欠かさず晩酌をする生活をしてきていながら、それでもなんとか同じ薬で済んでいたという実績がある(そういうのを実績というのか?)。それを思うと、晩酌の楽しみはやすやすと諦めるわけにはいかない。晩酌をやめないで他のをやめればいいんだ。やめるべき他のってなんだ? これが判らない。判っていたらとうにやめてるって。これまでと同じように飲んで食って薬も同じなのに、なんで数値が上がる?

う〜ん、判らない。判るのは、大好きな晩酌をやめてまで長生きする気はない、ってことです。

 

【今日の一枚】甘夏の花。

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去年生った実がまだ枝にぶら下がっているのに、もう今年の花が咲いた。早いとこ去年の実をもぎ取らねば今年の実が育たないぞ。

 

【書】「血」ケツ・ち・ちぬる(No.125)

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皿の中に血のある形。「ち、ちぬる」の意味に用いる。[説文]五上に「祭に薦(すす)むる所の牲血なり」とあり、牛や羊などの犠牲(いけにえ)に血は重要な神へのお供え物であった。また祭りに使う祭器などが作られたとき、仕上げに血を塗って清めた。斉の宣王が堂の下を物おそれする様子で引かれて行く牛を見て、どこに連れて行くのかと尋ねたところ、牛を引く者が、「鐘(かね)に釁(ちぬ)らんとす」(新しくできた鐘にいけにえの牛の血を塗るところです)と答えた。それで宣王はおどおどしている牛を憐(あわれ)んで、牛の代わりに羊を使えと言った話が[孟子]にみえる。<『常用字解』より>

なにゆえそんな悲しい顔をする? 「田園に死す」か? 寺山修司か? なんともやりきれない顔だ。

書いたのは私だ。私の気持ちが反映しているのか? そうだよなあ、今日の病院の結果が結果だものねえ。

 

【温泉】一二三荘。

 

【タイムラプス】5月15日(水)5:13〜7:57の伊豆長岡の空。20秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2297089493682248?s=100001436582002&sfns=mo