いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

新緑のせせらぎに立つ膝小僧(あ)

一昨日(5/10)、横浜の呑兵衛ランナーから、5月12日は富士裾野高原マラソンを走るので終わったら会おうとメール連絡があった。

よしきたと返事をし、ならば久々に三島広小路で呑もうかと思って三島駅午後3時に待ち合わせることにした。

目当ての店は二つあった。一つは、私が三島の高校で非常勤講師をしていた頃、一緒に入ろうとした日が貸切で入れなかった店。もう一つは、その高校の同僚との送別会で行ったことのある、焼き鳥がめっぽう旨い店。この二つを候補にして、とりあえず営業時間を確認しておこうとネットに当たったら、貸切だった店はランチとディナーの間の休憩時間に当たっていて、もう一つの焼き鳥屋は日曜は定休だと判った。

それで、少し早めに家を出て、三島の街をぶらぶら散策しながら午後3時から開いている店を探すことにした。それで探し当てたのが「さくら」という店。三島駅舎に隣接していて呑み友が横浜まで帰るのにも都合がいい。

3時開店に10分ほど早かったが、行ったら店に入れてくれた。店内は割と広く、ファミレスの居酒屋版といった感じか。飲み物とつまみもリーズナブルだ。が、横浜勤務時代に昼から延々10時間も差しつ差されつ、互いに持ち金が果てたのも知らずに呑み続けたという二人にとっては、いくらリーズナブルといっても軽く福沢諭吉が飛ぶ量は注文するわけで、どんだけ呑み助なんだと呆れかえりながら、ではまたと性懲りもなく再会を期すのでした。

それで、今日話した中で、なんと、今年の10月5日(土)〜6日(日)には二人とも弘前に行く予定であることが判った。私は高校の同級生の納骨法要で、呑兵衛ランナーは弘前アップルマラソン出場で、ぴったり同じ日に弘前に行っているとはなんたる偶然。こういうことってあるんですね。やはり彼とはどこか不思議の糸でつながっているとしか思えない。

 

【今日の一枚】三島のせせらぎ。

f:id:jijiro:20190513091650j:image

いずっぱこ(伊豆箱根鉄道)を三島田町駅で降りて、源兵衛川のせせらぎをJR三島駅に向かって歩く。このせせらぎを歩くのは何年ぶりだろう。

今日の三島の最高気温は25.1℃の夏日で、新緑のせせらぎで水遊びをする親子連れが結構いた。写真は、三島広小路から楽寿園に向かう途中のせせらぎで、この源兵衛川のせせらぎは楽寿園内の富士山の伏流水が水源になっている。だから、とてもきれい。

 

【書】「啓」ケイ・ひらく(No.122)

f:id:jijiro:20190513091753j:image

戸(戶)と攴(攵)と口とを組み合わせた形。戸はその中に神を祭っている神棚の片開きの扉の形。口は■(さい=画像参照)で、神への祈りの文である祝詞(のりと)を入れる器の形。攴は小枝を持って打つの意味であるが、古い字形は又(ゆう=手の形)に作るものが多い。■を神棚の扉の中に匿(かく)して祈ることによって、神の啓示(お告げ)はその扉の中に示されるのである。それで神棚の扉を手で「ひらく」こと、また扉の中の神の啓示をみることを啓という。神の啓示をうることから啓上・啓奏・啓白(申し上げること)の意味に用いる。のちすべて「ひらく」の意味に用い、啓蒙(けいもう=人々の無知をきりひらき、知識を与えること)のようにいう。神の啓示を受け、それによってことを始めることを肇(ちょう=はじめ、はじめる)という。<『常用字解』より>

■↓(手書き画像)

f:id:jijiro:20190513091842j:image

『古代文字字典』には攴のない字形や■のない字形が見えるが、戸がない字形はない。神棚の片開きの扉は、この字の意味を示すのになくてはならないパーツのようだ。

三つのパーツから成り立つ字形を選び、一つひとつがバラバラにならないように注意して書いたつもりが、何度書いてもうまくまとまらない。こういう字はバランスをとってまとめるのが本当に難しい。

 

【タイムラプス】5月12日(日)5:17〜7:54の伊豆長岡の空。36秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2292093704181827?s=100001436582002&sfns=mo