いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

狩野川の今昔ふふみ山笑ふ(あ)

明日からの出勤に備えて、ワークマンで作業着を見る。ワークマンは吉幾三のCMで名前だけは知っていたが、店に入るのは今日が初めて。

今度の仕事は先生方の負担軽減をサポートするのが趣旨だから、基本的には子どもたちの学習支援には携わらない。去年は体育を一緒にやっていた関係でジャージ姿でいることが多かったが、今年はグランドの草刈りもすることになるとの話で、そうなるとやはり作業着は必要だろうと思った。それでワークマンを覗いてみた。

さすがは作業着の専門店だけあって品揃えが豊富。地域に旭化成や東芝の大きな工場があって、道でもお揃いの作業着を着て歩いている人をよく見かける。そのイメージで作業着を見て回ったが、結構カジュアルっぽいのもあるんですね。作業着といえばファッション性より機能性を重んじると思っていたが、今はそうでもないみたい。

買うなら上下揃いのにしようと思ったが、履きやすそうなズボンの単品を見つけたので、今日はそれを買った。で、早速それを履いて水晶苑で碁を打ったら、履き心地が窮屈でなくていい。これはあぐらをかいてゆったり碁を打つのにも良さそうだと感じ入った次第。

 

【季節の花】水晶苑の2階ベランダから見た景色。

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正面に見える赤い橋が大仁橋で、右のこんもりした小山が水晶山。桜が咲いている土手の向こうに「百笑(ひゃくわらい)の湯」の建物が見える。その上が大仁金山跡。

修善寺から沼津の河口まで続く狩野川の土手道は、水晶山の手前で一旦途切れる。ここがつながれば、片道30kmの立派なマラソンコースになると思っていつも見ているが、なぜか市はそうしない。

はて、この土手の切れた部分は一体伊豆市か伊豆の国市か。私は水晶山が伊豆の国市で土手の切れた部分は伊豆市に属するとずっと思っていた。ところが改めて地図で確認したら、桜の土手までが伊豆市で、窪んだところは伊豆の国市だと判った。ついでに大仁橋の真ん中が両市の境界線になっていることも判った。

橋を渡った向こうは伊豆市熊坂という地区で、昭和33年の狩野川台風でもっとも大きな被害に遭ったところだ。濁流に流されてきた流木が大仁橋の橋脚に引っかかり、川はたちまちダムと化した。そして水圧に耐えられず大仁橋が決壊し、濁流は下流の熊坂地区にどっと流れ込んだ。

そのときの貴重な記録写真は狩野川記念公園の休憩所で見ることができます。

 

【書】「季」(No.93)

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禾(か)と子とを組み合わせた形。禾(いね)は禾の形の被(かぶ)りもので、稲魂(いなだま=稲に宿る神霊)の象徴であろう。季は稲魂を被り、稲魂に扮装して農作物の豊作を祈る田の舞をする子どもの姿である。(中略)被りものの稲魂を被って、豊作を祈る祈年(としごい)の舞をする男を年、舞う女を委という。季は舞に出る末の子をいう字であろう。「すえ」のほかに、春季(春の季節)のように「とき」の意味に用いる。<『常用字解』より>

禾は稲の感じを表現したく、端っこをピンととんがらせるようにして書いた。下の子のパーツは、頭の被りものがちょっと重たくてヨタヨタふらつきながらも、かろうじてバランスをとっているイメージで書いた。

 

【温泉】水晶苑。

今日の囲碁サロンは、白髭師匠、森のくま氏、大きな栗畑氏、それいけ探検隊長、それに私の5人。私が顔を出したときにはすでに4人が打ち始めていた。それで、少し待って誰も来なかったら帰ろうと思いながら、ベランダに出て山笑う景色を眺めたり、スマホで社説を読んだりして30分ほど待った。が、誰も来なかった。で、トイレを済ませて帰ろうとしたら、ちょうど1局打ち終えた森のくま氏が座を譲ってくれて、白髭師匠と対局することになった。

白髭師匠と4子置いて2局打つ。結果は●●の2敗。死なないつもりで打って2局とも大石を死なせてしまった。側で見ていた森のくま氏が、見かねて私にこう打てああ打てとアドバイスをくれる。なるほどそう打つのかとその都度感心はするが、なぜそこへ打つのか半分しか判っていないから上達の肥やしにならない。それが納得できるようになるにはまだまだ修行を積まないといけません。

 

【タイムラプス】4月11日(木)5:52~8:47の伊豆長岡の空。21秒。

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