いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

いにしへを今に匂へる八重桜(あ)

【季節の花】庭の八重桜。

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ソメイヨシノがあらかた散れば、今度は八重桜の出番。花見のトリを務める。

八重桜といえば、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな 伊勢大輔」(いにしえの古都奈良の八重桜が、今日は九重の宮中で美しく咲き誇っているなあ)ですね。

八重桜は「牡丹桜」とも言い、花びらがたくさん重なり合って、もっちりした感じに咲く。ソメイヨシノは華やかではかない感じだが、八重桜は重厚でぽっちゃり可愛らしく、これはまたこれでいい。

去年はこの樹の下に花見コーナーを設けて存分に花見を楽しもうと思い、そのためにはピンコロをいくつ敷き並べるか、あるいは2×4材でベランダをこしらえてしまうか、などと思い巡らせていたが、どっちみち今植わってあるアケビをなきものにしなければならず、それが惜しくて何もしていない(単に面倒臭いだけだろ?)。

 

【書】「企」(No.91)

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踵(かかと)をあげて爪先立ちしている人を横から見た形。人を横から見た形の人の下に止(足あとの形で、足の意味)をそえて、人が爪先立ちして遠くを見ている姿を示し、「つまだつ、のぞむ」の意味となる。人がこの姿勢をするときは、他に対して何かを企てるときであるから、企は「くわだてる」という意味となる。国語のくわだてるの古語は「くはたつ」である。古語でかかとを「くは」というから、「くはたつ」とはかかとをあげて爪先で立つことであり、何かをたくらみ、計画するという意味に使われる。企と「くわだてる」は、企立(踵をあげて立つこと)から、企画(計画を立てること)へという意味の展開のしかたが同じである。<『常用字解』より>

滲み度合いを「Wet」で書いた。「Wet」は、ともするとモワッと滲みが強くなってしまうので、そうならないようにある程度のスピード感を持って書いた。爪先立つイメージを線に出したくて、終筆には結構気を遣った。

 

【絵日記】渋沢栄一(No.78)

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「ソフト鉛筆」ツールだけで描いた。スーツと蝶ネクタイの質感がイマイチ出し切れていない。

 

【温泉】水晶苑。

白髭師匠に4子置いて●●●○の1勝3敗。4局目でやっと勝った。しかも1目差。布石がデタラメで、もっと布石を勉強しなくてはと思うが、なかなか時間が取れない。というのは言い訳で、その気になればいくらでも時間はあるはず。10歳の仲邑菫ちゃんだって、あんなに忙しい日々の中で勉強しているんだから、私も負けずに勉強しなくちゃ。

白髭師匠と4局打ち終えたのが4時近くで、今日集まった皆さんは一様に帰る構えだったが、突然、大きな栗畑氏から一番やろうと声がかかって座り直した。結果は4子置いて12目の勝ち。一旦切られた石がコウを仕掛けて蘇った。

帰り、一緒に玄関を出た栗畑氏が、「今一人で住んでるだら? 夜、やることなくて退屈で仕方ないから、碁を打つべ」と言ってきた。まさかの誘いである。「打つのはどっちの家でもいい、ここ(水晶苑)から碁盤を持っていけばいい」と言うので、家に碁盤がありますけどと、つい言ってしまった。じゃあ家まで案内してくれろとカブの後ろを軽トラで私の家までやって来た。その前に旧下田街道沿いの栗畑氏の家の前を通ったので、そこで一旦停まり、ここが私の家だと栗畑氏から紹介を受ける。門から玄関が見えないくらい敷地の広いお家です。

というわけで、互いの家を確認し合い、これで双方の家で碁を打つ準備が整った。

思わぬ展開になりました。それで早速明日、我が家で碁を打つことになった。大きな栗畑氏は白髭師匠と同じく囲碁サロンはほぼ皆勤の人で、たぶん明日も水晶苑へ顔を出すでしょう。それでも夜に私と碁を打とうというのだから、よほど碁が好きな人と見える。

私は明日は大場の病院へ行かなくてはいけない、そのあと一二三荘へ行く予定だと告げると、ならば午後7時から9時まで打とうと話がまとまった。やべ、晩酌できないじゃん。これから毎晩そうなるのかな。

 

【タイムラプス】4月9日(火)5:57~8:06の伊豆長岡の空。32秒。

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