いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

手を握り握り返してフリージア(あ)

今日は卒業式。特別学級支援員としての仕事も今日が最後になる。

卒業式は終始厳粛な雰囲気の中で進行した。メインの卒業証書授与が終わり、学校長式辞→教育委員会告辞→来賓祝辞→来賓紹介→記念品授与と式は順調に進んで、次の送辞で在校生代表が壇上に上がる。そして、演台に原稿を置いて送辞を述べ始めた。ところが、その代表の子は原稿を見ないで、言葉を一つひとつ噛みしめるように発したのだ。これには驚いた。間合いの取り方も実にいい。

家で何度も何度も、暗唱するほどに練習を重ねたのだろう。ときおり目線を下に向けたりはしたが、それも数回で、あとはまっすぐを見て堂々と卒業生との思い出を語り紡いだ。

送辞担当の先生がそう指導したかどうかは判らない。たぶん、自分でそう判断したのだろうと思う。原稿を棒読みするのではなく、「語る」ことで卒業生に気持ちを伝えようとしたのだと思う。

圧巻は、「閉式の言葉」の後の卒業記念合唱。卒業生が椅子の下に置いてあった卒業証書を左手に持ち、ステージに合唱体形を作る。合唱曲はEXILE「道」。昨日ギリギリまで練習し、今日の本番を迎えた歌声は、これまで聴いた合唱の中で最高のものだった。そんな素晴らし歌声を生で聴きながら、こいつらすごいぞ、と心底思った。

実は、これまでずっと歌の指導をしてきた音楽の先生が、今日はご自身のお子さんの卒業式と重なったために、この素晴らしい歌声を聴いていない。聴けばきっと感動にうち震えていたかもしれない。

私の座席の前に座った袴姿の担任の先生方は、ハンカチを目に当てておられた。来賓の中にもハンカチの手を目頭に持っていく仕草をする女性も見られた。卒業生を見送りクラスに戻ったら、ある子が、「なんだか泣きそうになった」と感想を述べていた。それは式場にいたほとんどの人の気持ちを代弁するものだったかもしれない。

クラスの帰りの会で、次に登校するのは離任式の日だとの話になり、たぶん私は離任式で挨拶することはないだろうからと、担任の先生が、最後に子どもたちに一言どうぞと私に促した。いきなり振られてしどろもどろのことを言ったが、最後に「梅ジュースを作っておくから遊びにおいで」と、つい口を滑らせてしまった。社交辞令だからと言ったって、そんなこと言ったらあいつら来るよなあ。いや、来なくていいからと言っても来ちゃう連中だから、来るに決まっている。そう頻繁にだと困るけれど、まあ、たまになら奴らの相手をしてやってもいいか。

 

【季節の花】カーネーションとフリージアと?

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「今日は卒業式だから飾って」と、現業の方が教室に届けてくれた。カーネーションとフリージアは判るが、クリーム色の花の名が判らない。「花しらべ」で検索しても出てこない。届けてくれたときに訊いておけばよかった。

 

【書】「飮」(No.71)

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もとの字は左に●(上に「今」、その下に「酉」を置く形)、右に人が口を開いて飲む形の「欠」を置く。全体で、口を開けて酒樽の中のものを飲む形で、「のむ」の意味となる。

食(𩙿)は蓋(亼)をした食器の形であるから、その中のものは飲むものではないが、のち●に代わって飲が「のむ」意味の字として使われる。(白川静『常用字解』参照)

甲骨文は、まさに酒樽の蓋を開け、酒樽から滴り落ちる酒を飲まんとしている人の図をイメージして書いた。「欠」のパーツが酒樽にのしかかるような格好で、なかなか面白い形になった。

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】3月20日(水)5:44~7:37の伊豆長岡の空。28秒。

https://www.facebook.com/100001436582002/videos/2209619002429298?sfns=mo