いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

立春や提灯ともる湯屋の軒(あ)

【写真】あやめ湯前駐車場のペンキ字。

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一年ぶりにあやめ湯に行ったら、駐車場にこんなのが書かれてあった。番台のおじちゃんが書いたのか。
私があやめ湯に通っていた頃は、こんなのはもちろんなかったし、犬を見かけたこともない(デブ猫はよく見たけど)。よほど腹に据えかねる何かがあったのかもしれない。


【書】「寫」(N0.30)

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「写」の旧字体。旧字体は町の写真屋の看板にまだ残っていたりする。「ゝ」のない「冩」もある。
「宀」の中は鳥のようにも見えると思ったら、カササギという鳥の象形だそうな。
それがどうして「うつす」意になったかというと、カササギを示すパーツ(セキ)が「おろす意→卸(シャ)に通じ、「寫」で、物を運び移して家におろす意になり、転じて、ものを書きうつす意に用いるようになったとは『旺文社 漢字典 第二班』の説明。なんだか判ったような判らないような……で、よく判らない。
でもこの字、数回書いて、とても形の取りやすい字です。


【温泉】あやめ湯
今日から一二三荘の男湯の工事が始まり、工事を終えた女湯だけの営業となる。一日置きに男女が入れ替わり、今日は女湯の番。それで今日の湯は久々のあやめ湯とした。
前回あやめ湯に浸かったのはいつだったっけと過去のブログを調べたら、去年の2月2日だった。ほぼ一年ぶりのあやめ湯である。
暖簾をくぐり引き戸を開けて「こんばんは」と挨拶すると、番台の小窓から「いらっしゃい」とおじちゃんが顔を出す。声の主を私と認めて「おや珍しい」と言ってくるかと思ったが、何も言ってこなかった。
入浴券売機が新しくなっていて、「おっ、券売機が新しくなってる」と、おじちゃんに聞こえるふうに言ったつもりだが、小窓からは何の反応もない。それがちょっと寂しかった。
風呂場に降りると、先客が二人いて、そのうちの一人が顔見知りの人だった。沼津のいけすや氏である。あやめ湯に繁く通っていた頃は挨拶する程度の人で、マイ桶氏や米朝氏のように与太話を交わすような人ではなかった。それでも私の顔くらいは知っているだろうと思いながら「こんばんは」と声をかけると、前と同じように「こんばんは」と返ってくるだけで、それ以上の反応はなかった。
こちらとしては、あれだけ親しんだあやめ湯という意識があったが、なんだか冷たくあしらわれたようで、気持ちが空回りしてしまった。
風呂場に流れていた演歌も今日は流れていなかった。帰り際に番台のおじちゃんに「演歌は流さなくなったんですか?」と訊こうとしたけど、訊いても詮無いことと思って訊かなかった。もし今日、マイ桶氏と米朝氏がいたらどう反応しただろう。確かめたい気がするが確かめるのが怖い気もする。


【タイムラプス】2月4日(月)6:21〜7:48の伊豆長岡の空。21秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10218564708131114?sfns=st