いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

新春の孫や蕎麦打つ手の速き(あ)

午前4時に孫に気づかれないように床から抜け出した、つもりだったが孫娘に気づかれた。こうなればもういつもの時間に行うブログのアップを諦めなければならない。
私の場合、頭がブログモードになるのは大体午前5時から7時までである。この2時間で前の日の出来事をまとめる。たまに、日が変わってから見たサッカー日本代表の試合について書いたりすることもあるが。
とまれ、孫が伊豆に泊まりに来るとこの2時間が作れない。ブログを書いている時間は同時にタイムラプス撮影もするが、それもできない。孫が遊びに来たときくらいブログを休んでもいいのに休めない。ここまで毎日書き続けてきたから、ここで休むわけにはいかないという気持ちがどうしても先に立つ。本末転倒だと思わなくはないが、こだわりを優先させてしまう。一種の中毒でしょうか。
毎日ブログを書くことにどれだけの意味があるのだろう。これまでに幾度もそう思ってきた。幾度も思いながら毎日書き綴ってきた。そうして今は思う。毎日書くことに意味などない。あるのは書きたいという気持ちだ。書かなくてはいけないからではなく、書きたいから書く。それがたまたま毎日であるにすぎない、と。
さて、今日は孫に食わせる朝食を作るところから始まった。朝食は、新巻鮭を焼き、卵焼きを作り、味付け油揚げを入れた玉ねぎスープ。毎日食事を当たり前に作る主婦からすれば、そんなことを書いてどうするのといったことでも、私は孫にこういう朝ごはんを作ったと書きたくて書く。
朝食はいつもトーストにインスタントスープで済ませる私が、孫が泊まった翌朝などはどんな朝食を孫に作るのだろうと不思議に思う読者がいるかもしれないと思って書く。そんなことはどうでもいいと思う人には、それこそどうでもいいことなのだが、私にとっては孫との食事はかけがえのない一コマなので、それで書きたいという気持ちのままに書く。
昼はママの到着を待って蕎麦にする。これが新春スペシャルの手打ちそば。孫が打ったんです。これにはママもすごいすごいとシャッター押しまくり。出来映えは私が昨年暮れに打ったのと似たり寄ったりで、麺が短く、太く、不細工だが、味は蕎麦そのもので、「やっぱり自分たちが打ったそばは格別旨いな」とお兄ちゃんは生意気なことを言う。

そのお兄ちゃんは、この4月から中学生。月日の経つのは早いものです。そして、年々早くなっています。


【写真】孫のそば打ち。

f:id:jijiro:20190103092016j:image

f:id:jijiro:20190103092029j:image

f:id:jijiro:20190103092048j:image
昨日、孫の到着を待ちながら「自炊」していたら、誤って左人差し指をカッターで切ってしまった。「というわけで、そば打ちをしたかったが残念」と言ったら、「やりたい」と口を揃えて言う。それで私は口だけ参加し、後の全ては孫たちに任せた。


【タイムラプス】痛恨の撮り忘れ。