いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

木枯らしやテニスネツトを張りつめて(あ)

【写真】軟式テニスのラケットとボール。

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今日は体育の授業でテニスをやった。
中学校ではテニスといえば軟式テニス。私の初任の高校もテニスといえば軟式テニスを指していた。今でこそ高校のテニスは硬式テニス部が主流だが、私が初任した当時は硬式テニス部は出来立てで、どちらかといえば軟式テニスに比べて、肩身の狭い思いをしていたように思う。
軟式テニスの球を打つのは40年ぶりである。テニスは初任の職場の大先輩に誘われてコートに立ったのが最初で、その後、昼休みや授業の空き時間に何回かラケットを振ったが、ちっとも上達しなかった。
そのうち職場が変わり、10年ほどラケットを持つことはなかった。で、再びラケットを持つようになった時には球は軟球から硬球に変わっていた。
平塚の定時制時代にテニススクールに通う同僚がいて、ある日、その人からテニスをやらないかと誘われた。一緒にスクールに通おうというのではなく、勤務前に相模川河川敷にある町営のテニスコートで軽く汗を流そうというのである。
当時の定時制はのんびりしたもので、午後5時の打ち合わせに間に合うよう出勤すればよかった。それで午前にテニスをし、テニス場で昼食を摂り、それから出勤するというパターンが多かった。ああ、テニス場のナポリタンは旨かったなあ。
定時制に勤務したのは5年間、その間にずいぶんテニスをしたが、腕前は我ながら呆れるほど上達しなかった。
同僚でもう一人、別のテニススクールに通う人がいて、その人から立派なラケットを譲りもらったりもしたけれど、その人と一緒にテニスをしたのは一、二回しかなく、譲りもらったラケットも次の職場で数回使っただけで、以来、今日までケースに仕舞われたままになっている。その人は私にそば打ちセットをくれた人でもある。
体育の授業でテニスをするのは今日が2回目。前回はちょうど肩痛に難儀していた時で、テニスどころではなかった。今日はその肩もすっかり回復し、サーブをバシバシ決める、はずだったが、40年ぶりに触った軟球はぷよんぷよんしてトスの要領がつかめない。打てども打てどもサーブが入らない。こんなはずではなかったとしばらく打っているうちに、それでもだんだん感覚が戻ってきた。
子どもたちと一緒に身体を動かすことが何より嬉しく、そして楽しい。この年になると身体もなかなか言うことを聞かなくなり、昔ほどには動けなくなるが、こうして身体を動かせるうちに動かしておこうと思っている。
高校の時、勉強と部活の両立に悩んで先輩に相談したことがあった。その時、先輩は言った。「五体満足だば、やればえでば」。単純にして明快。私はその言葉を今噛みしめている。


【タイムラプス】11月14日(水)5:33〜7:35の伊豆長岡の空。30秒。

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