いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

魚焼く煙一条隙間風(あ)

【写真】ホッケ。

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いつも行く魚屋でホッケを買う。これに大根おろしを擦れば今晩酌のメインディッシュ。
ここのホッケは肉厚で脂がのって旨い。でかくてコンロで焼くには頭と尻尾に火が通らないから、買ってきてすぐに身を半分に切って冷凍庫に仕舞っておく。
ここの店での支払いは消費税が加わるが、端数を切り捨ててくれる。一円玉を持ち歩きたくない派の私には都合がいい。それで今日の買い物は合計1,512円とはじかれ、千円札2枚と10円を出すが、奥さんが1,500円でいいと言って10円を戻してくれた。大した値引き額でもないのだが、こういう心配りが嬉しくて、魚はスーパーでは買わずにここの魚屋で買うことにしている。
スーパーなどなかった昔は、こういう魚屋さんは多かった。私の生まれ育った青森の貧しい半農半漁村にも4軒はあった。4軒あっても各家庭が利用する店は大抵決まっていた。共存していても、小地域ごとに住み分けがきちんとできていた。
我が実家の場合、道を挟んだ隣の角が魚屋で、雑貨を兼ねていたから、夕飯の買い物はもっぱらこの店を利用した。
この店には「通帳(かよいちょう)」というのがあって、それを持って店に行き、買った品物を店の人に書いてもらう。それで、月ごとにまとめて現金払いをする。
菓子も売っていたので、私は小腹が空くと親の目を盗んで、通帳を持って裏口から隣の魚屋へ行き、でんろく豆を買ってきては布団に隠れてボリボリ食ったものである。
通帳はいつも黒光りする柱にぶら下がっていた。だからそこから持って行けば、金がなくても誰でも買い物ができた。しかし、通帳には買った品物が記されてあるから、誰が買ったかは判らなくても、何を買ったかは記録に残る。
「わいは、今月だば、こたら(こんな)に買ったべか」と母がいぶかしがる月もあったが、こたらに買った犯人が誰かは母もとうに察していたのだと思う。察していて私をとがめることは一度もなかった。
総じて私は小さい頃から母に叱られた記憶がない。子犬を拾ってきて勝手に餌を与えたときも、伝書鳩の小屋を作ると言って屋根に穴をあけたときも、スキー練習のために屋根から滑り降りられるようにスロープを作って家の窓をふさいだときも、いつも黙って見守るような人だった。
そんな母を持ったせいか、最近、頻繁に我が家を訪れるようになったいたずら小僧たちに対しても声を荒げるようなことはしない。ただ奴らのやることを、しょうがねえなあと言いながら見守ってやることしかできないのである。


【タイムラプス】11月13日(火)6:37〜7:29の伊豆長岡の空。25秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10217889251085110/
撮影セットするのが1時間遅れた。