いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

名匠の彫り跡深き残暑かな(あ)

新潟呑兵衛旅行3日目。

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2日目宿の岩室温泉から関越自動車道を南下し、魚沼市の西福寺へ向かう。ここには石川雲蝶の彫刻と襖絵が残されている。

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石川雲蝶の名を私は知らなかった。案内によると、石川雲蝶は文化11年(1814)江戸雑司が谷生まれというから、歴史は意外と浅い。

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越後へやって来たのは32歳頃で、その頃に開山堂を建立しようとしていた当時の西福寺住職が、雲蝶の噂を聞きつけて魚沼に招き入れた。そして、39歳のときに、わずか5年数ヶ月で開山堂の彫刻、本堂襖絵などの大作を仕上げた。
実際にそれらを目の当たりにし、その繊細かつ迫力満点の大作に圧倒された。すごい、の一言である。高村光雲が美術の教科書に載るなら、石川雲蝶も載っていいはず、と思わせるくらいの見事な作品の数々だった。

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今回の旅の締めくくりは、レンタカーを借りたすぐそばの山本五十六記念館と河井継之助記念館。山本五十六の達筆はつとに知られているが、河井継之助も、これまた負けず劣らずの達筆である。
手書き文字がパソコンやスマホに主役の座を追われて久しいが、いろいろな記念館をこうして巡るたびに思うのは、やっぱり直筆の文字っていいなあということ。上手いとか下手とかじゃなく、味があるというか、手書きの字にはその人となりが自ずとにじみ出るんですね。これがいい。活字だけの記念館って、きっと味も素っ気もないだろうな。

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呑み物を買い込んで長岡駅から帰りの新幹線に乗る。車内の電光掲示では、台風13号の影響で千葉では特急「わかしお」が運休となったことを知らせている。横浜は? 伊豆は動いてる? 
高崎を過ぎて熊谷を過ぎて、でも、東京から西は運休という知らせはまだない。が、これは横浜での反省会をせずに早めに帰った方がいいな、と4人の意見がまとまって、恒例の旅の締めは中止。私は東京から三島まで新幹線で帰ることにした。
東京駅の新幹線切符売り場は混んでいた。これは三島駅に着いてから判った話だが、台風の影響で飛行機が飛ばなくなったので、その人たちが新幹線に乗り換えたとのことだった。
こだま新幹線の自由席は満席で、座れず通路に立っている人もいた。

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三島駅南口で一旦外に出て、いずっぱこの切符を買おうとした。そうしたら、いつもの立ち食いそば屋に「居酒屋営業中」の手書き文字が見え、それで一瞬足を止めたら、すかさず店から若い女性が近づいて来た。

「よろしかったら、どうですか」と私にパンフレットを渡しながら店の説明をする。「これは昨日から始めたイベントで、夜はやらない立ち食いそば屋をお借りして、立ち飲み居酒屋で夏の夜を楽しもうというものです。今年から始めました。お急ぎでなかったらどうぞ寄ってってください」
ちょうど夕食をどこで摂ろうか思案していたところだった。ここで少し呑んでつまみを適当に食えば夕食の代わりになるだろう、話のタネにもなるだろうと立ち寄ることにした。1,000円で呑み物を含めて3品選べるというので、ハイボールと枝豆と唐揚げを注文。すると店の外にいた若い男の人が声をかけてきた。店のスタッフらしい。
「どちらからお越しですか?」
「たった今、新潟の旅から帰って来たところです。東京からは新幹線で来ました」
「そうですか。私も東京から帰って来たところです。東京駅は混んでいたでしょう。台風で飛行機が飛ばず、飛行機に乗れなかった人たちが新幹線に乗り換えたらしいです」

てな具合で、しばし一緒に呑む。話題が台風から狩野川の花火大会になったところで、そのスタッフのスマホが鳴って席を外す。と、今度はそのスタッフの上司が入れ替わって私に話しかけてきた。パンフレットを渡した人も、声をかけてきた男のスタッフも、その上司も、カウンターの中の人も、要するに、私以外の全員が、このイベントを企画した伊豆箱根鉄道(いずっぱこ)の人だったのでした。
そこへ私一人が飛び込んだ。でも、結構楽しめましたよ。話が弾んで2枚目の千円札を出し、それでハイボールを3杯お代わりしたもの。なかなかのサプライズ納涼でした。