いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

かしわ祭たぎるその血を卒業子(あ)

朝、タイムカードを押そうとしたら校長先生に声をかけられた。「先生の、あれ、卒業生に送ることば、とってもよかった、感動しちゃった」。そう言われると面映ゆい。
「卒業生に一言お願いします」と三年付きの先生に花びら型の紙片を渡されたのは先週の火曜(3/6)。3年生とはほとんど接点がなかったけど、去年の9月と10月に行われた学校祭(体育の部と文化の部)に感じた思いなら書けると思い、俳句にまとめてその日に係の先生に渡した。校長先生は私がそのとき作った句のことを言ったのである。
感動されるほどの句ではないが、まあ、校長先生が選んでくれた特選句として、恥ずかしながら今日のタイトルに使わせてもらいます。
「かしわ祭」とは学校祭のこと。学校は丘の上に建っており、周囲の山は柏の木が多く、生徒会歌にも「育てよう 大きな 大きな かしわの木」と歌われる。
「たぎるその血」は、最初「たぎる血潮」がパッと浮かんだが、収まりすぎて味気ない気がして、「血潮」を「その血」に置き換えた。「その」とすることによって、あの時の学校祭で燃やしたエネルギーという意味合いが加わって特別感が出た。
問題は「その血を」の「を」。ここは「の」にするか「を」にするか迷った。たかが一つの助詞だけど、俳句では助詞の使い方に結構苦戦する。毎日苦戦する。
「その血の」にすると、あの時見せてくれたエネルギーは素晴らしかった、それを思い出に今君たちは卒業して行くとなるが、それだけだと何か言い足りない気がした。
それで「その血を」にしてみた。「を」とすることによって、そこに時空の流れが生まれる。例えば「目の前を、救急車が通り過ぎて行った」など。それで、ここは「を」しかないと思った。すると、あの時のエネルギーを忘れずに、卒業してからもずっと「たぎる血を」持ち続けていって欲しい、という解釈が生まれる。思うに校長先生は、「を」に込めた思いをそのように汲み取ってくれたのではないだろうか。とまあ、これは私なりの都合のいい想像ですけど。

【写真】祭りの豆絞り。

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散髪に行った床屋さんの松に結びつけてあった。どういうことでそこに結ばれてあるのか判らない。祭りの季節なら、神輿渡御が松の木陰で一休みという図ができあがるが、今はそういう季節でもない。岸恵子似のお母さんが、庭の手入れをして汗拭きに使ったのだろうか。お孫さんが遊びに来たときに結んだのだろうか。
普通の手ぬぐいならたぶん写真に収めなかったと思う。豆絞りだから撮ったのだ。
豆絞りには特別の思いがある。それは、ねぶた祭りの思い出に直結している。中でも特に、母が着付けてくれたハネトの衣装の締めくくりに、「ほれ、豆絞りコ」と言ってハチマキに結んでくれた思い出が濃い。
豆絞りを見るたびに、いつもそのことを思い出すのである。

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】3月14日(水)6:01〜7:46の伊豆長岡の空。26秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215850100227613/

【歩数】5,428歩。