いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

水温むボンドだらけの子らの指(あ)

【写真】ALTによる英語の授業風景。

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紙を貼り付けて桜の幹を作っている。作業中のやりとりは全て英語。できあがったのをどうするかというと、これをALTが各クラスで取り組んだ成果として展示コーナーに飾るのである。
この取り組みは通年で行い、クラスの話し合いで何を飾るかを決める。これまで、スタジオジブリとか清水エスパルスとかについて調べた内容を英語にまとめ、それを展示してきた。鎌倉学習を英語のビデオにまとめたクラスもあった。そして、今年度最後のトリを務めるのが我が特支学級なのである。
この桜の幹は枝を2本足して、卒業式当日に展示コーナーに飾られることになっている。展示コーナーは体育館へ通じる2階の廊下にある。卒業式まであと一週間、果たして間に合うだろうか。

【スケッチ】茅ヶ崎・鉄砲通りの店(No.35)

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茅ヶ崎の歯医者は鉄砲通り沿いにある。通りにはこのような瀟洒な造りの店が多く並び、いかにも湘南の風情が漂う。
何の店だろう。1階の壁にロゴマークが見えるが、よく判らない。シャッターが閉まりかかって、今日は休業のようだ。
建物がちょっと歪んでいるが、多少意識してそう描いた部分もある。正面から捉えた構図は奥行きが出しにくく単調になりがちだが、少し歪ませることで変化を持たせた(つもり)。
空はティッシュで白く抜いた雲に灰色系の淡い色で影をつけてみた。

【温泉】一二三荘。
ご主人と脱衣所で一緒になったので訊いてみた。「先日、ここのホームページを見たら、創業が大正初期とありましたが、その頃はもう大仁駅まで電車は走っていたんですか?」
大仁駅の開業に合わせて一二三荘を創業したのかという意味で訊いたのだったが、ご主人の回答は意外なものだった。「いえ、そんなに古くないですよ。今から70年くらい前になるかなあ。私が10歳の頃です」
現在のご主人は四代目とホームページにあったが、とすると、創業は曾祖父さんの時で二代目がお祖父さんで三代目がお父さんとなるが、ざっと30歳の年齢差で代々ご当主を継承してきたとして、四代目が10歳の頃は曽祖父さんは90歳となる。どうも勘定が合わない。ホームページに書かれてある内容は本当ではないのだろうか。
別に事実と異なることを書いているホームページにケチをつける気は毛頭ない。私はただ、一二三荘がいつからあるのかを知りたいだけだ。私の頭では大仁駅開業に合わせる形で一二三荘が創業したことになっていたが、今日のご主人の話を聞いて、それは違うんだということが判った。70年くらい前だと、創業は終戦直後ということになる。
大仁温泉の歴史を見ると、もともと大仁温泉の狩野川を挟んだ対岸に金山があり、その金山の坑から昭和13年(1938)に温泉が湧出したことで、金の採掘が不可能になった。処理に困った鉱山側は、施設内にヘルスセンターを開設して鉱山労働者と観光客向けに温泉を供することになった。その後、計画的な温泉掘削を行い、戦後は大仁町方面への給湯も開始された、とある。<https://ja.wikipedia.org/wiki/大仁温泉>
これで謎が解けた。ご主人の言う通り、一二三荘の創業は、大仁に温泉の給湯が開始された終戦直後だったのだ。四代目というのは、別の場所で旅館業を営んでいた頃から数えて四代目ということであれば、創業が大正初期というのも含めて別に不思議はない。今の場所で営業を始めたのは、大仁駅ができたからではなく、実際はそれよりもだいぶ後になって温泉が給湯されるようになった戦後というのが正しいということになる。

【タイムラプス】3月12日(月)6:02〜7:33の伊豆長岡の空。22秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215828169119349/

【歩数】4,975歩。