いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ここからの富士は芭蕉も知らぬ春(あ)

4校時の「道徳」の時間に、Eテレの「オンマイウェイ」という番組(10分)を見た後、「仕事のやりがいって何だろう」というテーマで話し合った。
その時、1年の子から「先生にとって、仕事のやりがいって何ですか?」と訊かれた。私は「君たちの頑張りを応援できることだよ」と答えたが、同時に、果たしてそうだろうかと自問してもいた。なんだかんだきれいごと言ったって、結局はお金が欲しいんじゃないのかい? 呑み代を稼ぐために働いているんじゃないのかい?
今就いている仕事は、自分からそうしたいと望んだのではない。学童の手伝いをしていたら、たまたま中学校の特別支援学級の支援員に欠員が生じたことで教育課長からお声がかかっただけのことで、もしそうでなかったら、私は今の仕事をしていなかった。たぶん、シルバー人材センターに登録していくらかの報酬をもらうか、あるいは何もせずに絵を描いて暮らすか、くらいだったろうと思う。
それが、縁あって今の仕事に就いたら、これがなかなかに面白い。面白いと言ったら語弊があるかもしれないが、ハマったというか、いろんな刺激があって毎日が楽しい。子どもたちと一緒に遊んでいるといった感覚に近い。そう感じるのは、いわゆる任される「責任」を持たなくて済むポジションだからだとは判っている。これが担任だったり教科担当だったりすればそうはいかない。
第一、担任は子どもたちの「道徳」の取り組みを客観的評価しなければならない(どうやって?)。私はそれをしなくていい。それだけで、とても気が楽だ。
そんな私が今の仕事にやりがいを感じているかといえば、おそらくそんなには感じていない。ただ、楽しいと感じていることは確かだ。

【写真】芭蕉の句碑。

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一二三荘の筋向かいにある。富士山をかたどった岩に、右から「芭蕉翁 おもしろき 霧時雨 富士を見ぬ 日ぞ」と刻まれている。『野ざらし紀行』の「関越ゆる日は雨降て、山皆雲に隠れたり。霧時雨富士を見ぬ日ぞおもしろき」による。
句意は、これまで見親しんできた富士も今日は霧時雨によって見えないけれど、こうして霧の中にそびえる富士山を想像するのも面白いじゃないか、といったところか。せっかく富士山を間近に見られると思って楽しみにして来たのに、いざ箱根まで来たら霧が濃くて見えないのはつくづく残念。凡人はそう思うが、芭蕉はそう思わない。それもまた一興と捉える。心の中にしっかり富士山の姿が見えているのですね。
しかし、芭蕉は箱根の関は越えたけれど、大仁までは来ていない。では、なぜここに芭蕉の句碑があるか。
それは、「大仁上宿である当地は美しい富士山を仰ぎみることのできる場所の一つ」で、「大仁村の連を中心に、田方、内浦、狩野、大見の連が集って句会を催した折の記念碑」として、嘉永7年(1854)に三島生まれの俳諧人孤山堂卓郎の揮毫で建立されたということらしい。<http://www.fujinokunibunkashigen.net/resouce/main.php?search=area&mode=detail&article=2289
実はこれと同じ句碑が、箱根を越えて三島宿に下る途中の富士見平(現在ドライブインがある場所)にもある。そこの句碑は語順がきちんと「霧時雨藤見えぬ日ぞ面白き」とあるのに、こっちは「芭蕉」が先にきて次の行に「おもしろき」が続く。なぜそう刻字したのか。散らし書きの方法とかをいろいろ調べて見たけど、そこまでは判らなかった。刻字を任された石工が揮毫の和紙を単純に貼り違えたのかもしれない。

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】3月7日(水)6:12〜7:44の伊豆長岡の空。22秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215779315498039/

【歩数】5,703歩。