いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春寒やもうちょっと待て鉢の苗(あ)

今日の朝日新聞「天声人語」(有料会員ではないのでデジタル版は150字しか読めない)と毎日新聞「余禄」「社説」では、俳人・金子兜太さんの死を悼んでいた。
それを読んで思ったことをいくつか。
「死んでも命は別のところで生きている」(余禄)。
金子兜太さんは80歳を過ぎてから「立禅」を日課とするようになった。亡くなった友人知己、恩師や先輩、肉親の名を心の中で唱えること30分近く。そうすることでその日の暮らしがすっきりと豊かな気分になったという。
自分と関わった全ての人を頭の中で蘇らせ、その人たちとの会話を楽しんでいたのだろうか。「死に骨は海に捨つべし沢庵噛む」という句には、愚かな戦争によって戦地に命を散らした仲間の無念を、沢庵を噛むように噛みしめる作者が思い浮かぶ。その人はずっと金子兜太さんの頭の中に生き続けていたのだったろう。
翻って私はどうか。今生きてあることをどう思っているか。亡くなった肉親や親しく語らった亡き友と向き合えているか。
金子兜太さんは立禅をすることで「その日の暮らしがすっきりと豊かな気分になった」という。一日の始まりに、生きたくても生きることが叶わなかった人たちのために、その人たちを自分の中に蘇らせることで一緒に生きている実感を噛み締めていたのかもしれない。
「水脈の果て炎天の墓碑を置きて去る」(社説)。
これは引き揚げの艦上から万感の思いを込めて詠んだ代表句。壮絶な戦いを繰り広げた南の島が水脈の向こうに徐々に小さくなっていくのを見つめながら、そこに置き去らざるを得ない死屍累々の仲間の魂のことを思った。遮る影のない炎天の艦上で作者に見えたのは、蜃気楼のように水平線に浮かぶ鎮魂の墓碑だった。
まさに万感の思いが伝わってきます。死と隣り合わせの戦争を経験した人でなければ絶対に作れない句です。一方でまた、
「みどりごのちんぼこつまむ夏の父」
と詠む。こういう句も好き。私もこの句に学んで軽妙な句を詠みたいと常々思っているが、これが作れそうで作れない。結局は、才能がないということですね。はい、精進します。

【写真】鉢植えのコーヒーの苗。

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これまで順調に育っていたコーヒーの苗を枯らしてしまった。寒波が続いたときも手当せず、暖房のない寒い部屋に放ったらかしにしておいたのがいけない。割と陽当たりのいい部屋だから、射し込む陽光だけで平気だと高をくくっていた。
去年の冬はどう越したかというと、去年は石油ヒーターのある部屋の窓辺に置いておいたのである。それが引っ越しで藤沢から運んできたパソコンに場所を奪われ、外の濡れ縁に追いやられた。気候が暖かいうちはそれでもよかったが、冬が近づいて風も冷たくなり、そろそろ家の中に入れなくてはと思っても、家はどこもかしこも引っ越しの家具で置く場所がない。最終的に今の8畳洋室に置くことにしたが、これがいけなかった。この部屋は日中は陽が射し込むものの、夜は隙間風だらけで滅法寒い。やはり石油ヒーターの部屋に戻してやるんだったか。かわいそうなことをしたな。

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】2月22日(木)6:24〜7:54の伊豆長岡の空。22秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215648969919481/

【歩数】3,770歩。