いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

春近し庭の榾木の息遣ひ(あ)

【写真】3つ目の椎茸。

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今シーズンの椎茸は2個で終了かと思ったら、ここへきて3個目が生えてきた。実は同じホダ木の裏側にもこれより一回り小さい4個目の椎茸が生えてきている。ほとんど収穫を期待しなかった椎茸だが、初挑戦の椎茸栽培に4つも生ってくれた。これはちょっと嬉しいぞ。

【スケッチ】浮橋のログハウス(No.23)。

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しばらく旧大仁町の昔のモノクロ写真を模写し、それに色をつけて遊んでいたが、今日からまた本来の淡彩風景画に戻る。
今回は憧れのログハウス。先週、浮橋に麦踏みに行ったときに公民館の駐車場から見えた。これは絵になると思って写真に収め、パソコンに保存しておいた。というか、パソコン(macOS High Sierra)へはiPhoneで撮った写真がWi--Fi経由で自動的にアップされるので、保存のための操作は一切しない。勝手にパソコンに保存される。iPhoneで編集した内容も同期される(逆も可)。全く便利になったものだ。
写真を見て絵を描くときは、写真をパソコン画面に大きく映し、それをハガキ大の水彩用紙に模写する。模写の下描きにはシャーペンか漫画用ペンを使うが、今回は最初にシャーペンで描き、後から漫画ペンでくっきりした線にして消しゴムでシャーペンの線を消した。何のことはない、漫画を描くときの手順である。
愛読する『ビッグコミック』の「ゴルゴ13」にはいろんな風景が描かれ、風景画を描こうとする身にはとても参考になるのだけれど、例えばこのログハウスなんかを描くとすればきちっと定規をあてがって描くのだろう。しかし淡彩画では定規を使わない。なぜだろう。
なぜ漫画では定規を使うのに淡彩画では使わないのだろう。そもそも漫画と絵画の違いって何だろう。と、いきなりそこへ逢着し、しばし考えた。
私の目にはどちらも「画」と映る。描き方が違うだけで、私にとってはどちらも「画」です。そこに優劣の差はありません。どちらが芸術的価値があるとかないとかを決めるのはそれを見る人であって描く人ではない。描く人は、自分でいちばん描きやすい(描きたい)と思う方法で描けばいい。私は淡彩画が描きやすいと思っているからそうしているだけだし、定規を使わないのはためらいがちなヨタヨタした線が味わいがあると思っているからそうしているだけ。つまりはそういうことです。

【温泉】水晶苑。
今日の囲碁サロンは4人と少なかった。
白髭師匠と4子置いて4局。白髭師匠にはまだ一度も勝ったことがない。先週の囲碁大会の3勝1敗も、その1敗が白髭師匠に食らった黒星だ。
ところが、今日はいきなりの2連勝ときた。「いよいよ本領を発揮してきたな、強え強え、今まで猫かぶってただな」と師匠に言わしめ、「次に負けたら石を一つ減らしてもらうべ」と始めた3局目は、序盤から凡ミスを繰り返して中盤で投了。せっかくのチャンスをみすみす逃してしまった。その痛手を引きずった4局目も、これまた中盤で投了。結局、今日は2勝2敗で、昇進まだ遠しの結果となりました。

【タイムラプス】2月3日(土)6:26〜8:41の伊豆長岡の空。33秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215465151764142/

【歩数】1,195歩。