いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

一月や定石効かぬ碁打ちたし(あ)

【写真】NHK杯囲碁トーナメント戦。

f:id:jijiro:20180130080335j:image

張栩九段(黒)対芝野虎丸七段(白)の対局の序盤。結果は白番・芝野虎丸七段の4目半勝ち。
いつもは終局の盤面だけ写真に撮っておくのだが、この日(1/28)は昼食のパスタを茹でながら石を並べていて、茹で上がりをタイマーが知らせてくれた時点でひとまず序盤戦の盤面を一枚撮ってテレビから離れた。で、茹で上がったパスタに「まぜりゃんせ」(たらこ味)を混ぜてテレビの前に戻ったら、対局はずいぶん先まで進んでいて、どの順で石を並べたかさっぱり判らず、盤面に石を並べるのを諦めた。
それにしても芝野虎丸七段の強さは半端ではない。まだ18歳の伸び盛り。今や囲碁界に敵なしの井山裕太七冠(28)より10歳若い。史上最年少で名人戦、本因坊戦のリーグ入りを果たし、その勢いは止まらない。今から井山裕太七冠との対局が楽しみである。
囲碁にしろ将棋にしろ、若い人がどんどん台頭してくるのはいいことだ。私が名を知る棋士がいつの間にか表舞台から一人消え二人消えするのは寂しい限りだが、それもまた時代の流れというものだろう。囲碁を愛好する一人として、これからも若者の活躍に大いに期待するところだ。
ところで、一つ不思議に思うことがある。囲碁には定石というものがあって、こう打てば優位だという打ち方が昔からある。その定石の勉強不足のせいで私は一向に碁が上達しないと思っていて、囲碁サロンでも定石を覚えなさいと指摘されたりするのだが、その定石は百戦錬磨の経験豊富な棋士の方がよく知っているはずなのに、経験のまだ浅い若者に勝てないのはどういうわけか。
最近はAI碁の強さが認識され、AIを取り入れた打ち方も研究される由だが、それは経験豊富な棋士とて同じはず。若者だけが研究に勤しんでいるわけでもあるまい。経験も含めて勉強量の多さからすれば百戦錬磨の年配者には勝てないだろうはずがそうならない。これが不思議。囲碁は定石をたくさん知っているだけでは勝てないということなのだろうか。若者の強さって何だろう。

【スケッチ】大正5年頃の大仁商店街(下描き)。

f:id:jijiro:20180130080352j:image

大正5(1916)年といえば夏目漱石が亡くなった年である。そして翌大正6年に今の伊豆箱根鉄道の前身である駿豆鉄道が創立され、さらに翌々大正7年にはすでに三島駅と大場駅間は電化されていた(大場駅から大仁駅までは蒸気)というから驚きだ。
駿豆線が修善寺駅まで全通したのが大正13年。それまでは大仁駅が駿豆線の終着駅だった。それで修善寺温泉まで行くには、当時は大仁駅で電車を降り、そこから乗合自動車に乗り換えたらしい。写真にはその乗合自動車の姿も見える。
ちなみに夏目漱石の「修善寺の大患」は明治43(1910)年で、駿豆線が誕生する6年前だった。その時はまだ乗合自動車も走っていなかったろうし、夏目漱石は今の御殿場線の下土狩駅(当時の三島駅)から馬車で修善寺に向かったと思われる。
「長屋乾物店」と看板にあるのは、今の「長屋書店」のことだろう。この商店街は水晶苑と一二三荘へ行くときに通る場所で、今でも当時のままの造りと思しき店構えも残っている。そしてここが夏目漱石を乗せただろう馬車が通り、「伊豆の踊り子」一行が歩いただろう下田街道になる。

【温泉】あやめ湯。

【タイムラプス】1月29日(月)6:18〜7:59の伊豆長岡の空。25秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215411884952505/

【歩数】4,306歩。