いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

早梅の雨滴らす通ひ坂(あ)

図書室でいい写真集を見つけた。旧大仁町の風景が載っている写真集である。

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写真はすべてモノクロだが、一つこれを絵に描き彩色してみたらどうだろうと考えた。昭和の風景を絵ハガキに蘇らせるのである。
蘇らせるとは随分偉そうな物言いだが、今も撮りためた写真をもとにスケッチ画を描いているわけだから、やることは基本的にほとんど変わらない。ただ、モノクロの風景にどう彩色するかに多少の工夫は必要だろうけれど。
私が馴染んできた昭和の思い出に色をつけるのは、それだけでワクワクする作業だ。もしかしたら私の原風景に出会う旅になるかもしれない。
もちろん私が育ったのは雪の降る貧しい半農半漁の村であり、滅多に雪の降らない温暖な伊豆とは異なるが、昭和の時代に色をつけるとすれば、たぶんその色は同じでしょう。描く絵がどんなものになるか、まあ自分自身楽しみながら懐かしみながら、時間があったときにちょぼちょぼ描いていこうと思っている。

【写真】中学校の坂の梅。

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中学校の坂は沿道に桜が植えられ、桜より一つ奥まったところに梅が植えられている。その梅のうちの一本だけがこうして冷たい雨の中で花を咲かせていた。
水晶苑で一緒になる看板氏の話によると、斜面の梅は自分がPTA会長をしていたときに植えたのだという。それが何年前の話かは判らないが、今は立派な梅の木に育ち、ここの梅の実を使って毎年2年生が梅シロップを作るのだと校長先生から伺った。
去年の夏の終わり、私が今の仕事に就くことになったことを看板氏に報告したら、坂の梅の話になり、あれは私らが植えたんだよ、いい梅だよ、勝手に採っていいよ、と自分の庭みたいなことを言う。いやいや、いくら何でもさすがに勝手には採れないでしょうと返したが、看板氏にとって坂に梅を植えたことは今でも大きな自慢としてあるのでしょう。

【スケッチ】広瀬神社(No.14)。

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広瀬神社は通勤路の旧下田街道沿いにある。案内板によると、
「(略)田方一の大社である。社伝によれば、三嶋大社はその昔下田の白浜からこの地に移り、後に三嶋に遷祀したという。豊臣秀吉による韮山城攻めの際兵火に遭い、社殿ことごとく焼失している(略)」
とある。
鳥居が街道側に向いておらず、三嶋大社と同じく伊豆の南側を向いているので、もしかしたらそれが遷祀と関係があるのかもしれない。
今回のスケッチ画は仕上げまで3時間かかった。下描きはいつも通りの漫画用ペンを使ったが、2箇所を描き間違えて修正液で消した。それで後から彩色したが、修正液のところがマスキングのように絵具をはじいて白く残ってしまった。
ダメでした。今回初めて修正液を使ってみて、使えないことが判りました。修正液を使えないとなると、描き損じた線はどうやって消せばいいんだろう。白墨とか白い絵具とかを塗って消すのかなあ。この手の込み入ったスケッチは初めに鉛筆で当たりをつけ、その後ペンで輪郭を描いた方がいいのかもしれない。

【タイムラプス】1月17日(水)6:38〜7:41の韮山方面の雨空。30秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215288584830079/

【歩数】3,460歩。