いずぃなり

伊豆でのシニアライフ

ストーブの薪焚べ終はり孫の去る(あ)

孫どもは年末年始を伊豆で4泊過ごし、今朝6時に迎えに来たママの車で帰って行った。カミさんはその2時間後に仕事で帰って行った。
ようやくのんびり過ごす時間ができたところで、今年一年の抱負をまとめてみる。
今年は何をやりたいかと考えてまず思いつくのは淡彩風景画スケッチ。
手本の模写ではないオリジナルの風景画は、去年の暮れから少し描き始めたが、今年は本格的に描いていきたいと思っている。ただ、仕事をもう一年続けることにしたので、外へスケッチに出かける時間が恐らく日曜しか確保できない。
土曜があるでしょうと思いきや、土曜は昼から囲碁サロンに顔を出すだろうから、スケッチに時間を割けない。日曜は昼にNHK杯囲碁トーナメント戦があるが、それはテレビで見なくても後でネットで対局手順を確認できるので構わない(解説はないけど)。
というわけで、外へ出てスケッチするとなるとやはり日曜しかない。しかもその日曜に孫の世話が入るとスケッチどころではなくなる。
そのために、身近なところで絵になる風景をカメラで撮りためておいて、とりあえずはその画像を参考にしてスケッチの練習をしていきたいと思っている。
仕事は一日6時間勤務だから、平日の夕方2時間くらいは絵の腕磨きに充てることができる。それを終えてから温泉に出かける。
絵の勉強のためには大きなサイズの紙に描くのがいいのだろうけれど、2時間の中で描き上げることを考えればパパッと描けるハガキサイズが手頃な気がする。ハガキサイズなら欲しいと言う誰かに絵ハガキで送ることもできる。まあ、欲しいと言ってくれる人がいればの話だが。
思えば不思議だ。私がこんなに絵にハマるとは自分でも思ってもみなかった。退職後は書を本格的にやろうと思えばできたはずなのに、そうせずに絵を選んだ。なぜだろう。やはり高校時代に学んだ絵に未練があったのだろうか。
高校では入学時に芸術科目の中から美術か音楽か書道かを選ばせる。そのとき私は美術を選び、 I ・II・Ⅲと3年間美術を学んだ。初めて油絵を描いたりもした。秋の大会を最後にサッカー部を引退してからは美術部に入り直して石膏デッサンの基本を学んだりした。あの頃は塑像専攻のある大学の受験も視野に入れ、その実技試験の準備のために放課後の美術室でひたすらデッサンを繰り返した。
一方、書を学んだのは大学で教職課程を履修し始めたときから。とても4年間で卒業できないことが判り、さてどうすると考えて教員になることを決めたときである。それで4年から改めて教職課程を履修し始め、課程修了までどうせ3年かかるんだったら、ええい書道の教員免許も取ってしまえと、毎日重い硯箱を持って大学まで通った。だから、書はどちらかと言えばついでに学んだようなもので、どうしても学びたいと思って学んだわけではなかった。
だけど書道免許を持てば書道を授業で教えることにもなり、実際に初任の学校では書道を受け持った。技術的に未熟だったことは自身がいちばんよく知っている。免許を取ったはいいけれど引き続きの鍛錬を怠ったために一向に腕が上がらない。徐々に教わる子に申し訳ない気持ちが強くなり、書を教えることが負担になっていった。
そういう経緯もあって、退職後はもう一度じっくり書と向き合い直すことも考えられた。しかし書に向かわずに絵に走った。書は書いて楽しいとは思わない。絵は描いて楽しいと思う。それだけの違いだ。だけどそれは決定的な違いだ。

【写真】年末年始で減った薪。

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増築8畳洋間のサッシ窓の高さまで積み上げていた薪も、この年末年始に孫が4泊した間にたちまち半分以上減った。孫がいる間は朝5時からガンガン焚いていたからなあ。
でもまだ車庫にこれと同じくらいの量が残っているからしばらくは困らない。ただ、今シーズンにはあらかた焚べ切りそうだから、次の薪をどこぞで調達しなければいけない。おっとその前に、薪置場を確保せねばならぬのう。

【温泉】一二三荘。

【タイムラプス】1月3日(水)6:34〜8:57の伊豆長岡の空。35秒。

https://www.facebook.com/aisakajiro/videos/10215174625501167/

【歩数】366歩。